小鹿倉村(読み)こがくらむら

日本歴史地名大系 「小鹿倉村」の解説

小鹿倉村
こがくらむら

[現在地名]諫早市倉町くらちよう

小川おがわ村の南に位置し、小ヶ倉川が流れる。近世は諫早郷に属し、肥前佐賀藩親類同格の諫早家領。正保国絵図に「小ケ倉村」とあり、高五九石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では小鹿倉村とみえ、元禄国絵図でも高五九石余。元禄年間(一六八八―一七〇四)の鍋島綱茂領中配分石高帳(長崎図書館蔵)では地米高四三石余(大小配分石高帳でも同高)。天明七年(一七八七)の佐賀領村々目録でも高五九石余。天保三年(一八三二)の諫早領田畑石高帳では田一一町九反余・地米四〇石余、畑三町四反余・地米三石余、ほかに出来畑一町余・地米六斗余。


小鹿倉村
こがくらむら

[現在地名]椎葉村松尾まつお くら佐土さどたに

中尾なかお村の東、蛇行しながら東流する耳川左岸に位置する。下松尾掛一八ヵ村の一つで、岩屋戸組に属する。日向国覚書に椎葉山之村形の一村として小鹿倉とみえる。延享三年(一七四六)に検地竿入がなされ、畑三反余(高二斗余)が打出された(天明元年「椎葉山高反別取米一村限帳控」内藤家文書)。寛延四年(一七五一)の下松尾村組焼畑見取御年貢米代銀上納帳(相良家文書)では「小鹿倉山」に焼畑二七枚・四町三反余があり、その年貢米六斗余・取銀三六匁余。文政一一年(一八二八)には焼畑高が本高に入れられ、天保九年(一八三八)の椎葉山村々高覚(同文書)では高七石五斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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