デジタル大辞泉
「諫早市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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諫早市
いさはやし
面積:一四五・四七平方キロ
長崎市の北東に位置する。北西は大村市、北東は北高来郡高来町、南東は同郡森山町、南西は同郡飯盛町と接する。南部は橘湾、東部は有明海(諫早湾)に臨み、西部ではわずかに大村湾に面する。北部に多良山系の五家原岳(一〇五七・三メートル)・仏ノ辻(九九一メートル)があり、これらを水源とする長田川・湯野尾川・目代川・本明川などが市域をほぼ南流して諫早湾に注ぐ。南部では八天岳・井樋ノ尾岳・高岳・蓮華石岳など比較的低い山嶺があり、小ヶ倉川・東大川などが流れる。本明川の河口部には有明海干潟干拓によって形成された諫早平野が広がっており、県内でも有数の穀倉地帯となっている。長崎市を含む西彼杵半島、島原市を含む島原半島の付根に立地することから各種交通の拠点で、JR長崎本線・大村線と島原鉄道があり、国道三四号・五七号・二〇七号・二五一号が通るほか、長崎自動車道の諫早インターチェンジがある。
〔原始・古代〕
多良岳の中腹部や西部の低丘陵地で旧石器時代の遺物が採集されている。西輪久道遺跡(下層)はAT(姶良火山灰)との関連で石器群の様相が層位的に把握できる貴重な遺跡で、柿崎遺跡では柿崎型ナイフとよばれるナイフ形石器が発見されている。位牌塔遺跡で発見された偏平型の細石核と同型のものは鷹野遺跡などから野岳型細石核とともに出土しており、注目されている。縄文時代の遺跡のうち善納岩陰遺跡では押型文土器片が出土、また北東部の川頭遺跡では縄文時代早期・前期のピット群や同中期の土坑が発見されている。縄文時代にあたる小野宗方遺跡は貝塚を構成する貝のほとんどがマガキで占められている。同中期・後期の有喜貝塚では岩礁性貝類が二四種、内湾性貝類が九種みられたほか、埋葬遺構が検出され、胸部に鉄鏃が付着した弥生時代の人骨が発見されている。大村市境に近い風観岳支石墓群では縄文時代晩期の約三〇基の支石墓が確認されている。弥生時代の遺跡では甕棺や祭祀遺構が検出された林ノ辻遺跡や諫早農業高校遺跡がある。後者の遺跡では甕棺から細形銅剣が出土したと伝えられ、弥生時代中期の拠点集落の墓地と想定される。古墳時代では木秀古墳や、刀子などの鉄器が出土した本明石棺群が知られるが、六世紀前半代とされる小野古墳では鉄剣・刀子・ガラス玉などが出土している。
律令制下では高来郡に属したとみられ、「和名抄」に記される同郡新居郷を諫早にあてる説があるが、また彼杵郡内の浮穴郷の遺称地を有喜とする想定もある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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諫早〔市〕
いさはや
長崎県南東部,諫早平野を中心に広がる市。北部に多良岳があり,東,西,南の三方で海に臨む。1940年市制。2005年飯盛町,小長井町,高来町,多良見町,森山町の 5町と合体。市域は山地,丘陵地,東の諫早湾に向かって形成された三角州,および干拓地からなり,県下最大の米作,養豚地域。丘陵地ではミカンが生産される。西部の丘陵地には住宅地,中核工業団地が造成され,半導体,精密機械関連の工場が進出。有明海の西側に位置する諫早湾では,1989年に諫早湾干拓事業が着工,1997年に閉め切られた潮受け堤防は 1999年に完成した。大規模な干拓が行なわれており,伝統の漁業は消滅しつつある。西に隣接する長崎市との結びつきが強く,西諫早ニュータウンでは居住者の過半数が長崎市への通勤者となっている。中心市街地の諫早は鍋島支藩の諫早藩の城下町として発達。城跡は今日諫早公園となっている。諫早湾岸の小野には条里制の遺構がある。市域の一部は多良岳県立自然公園,大村湾県立自然公園に属する。大村湾,橘湾,諫早湾の三つの湾にまたがる陸上交通の要地で,JR長崎本線,大村線と島原鉄道の結節点,国道34号線,57号線,207号線,251号線,長崎自動車道が通じる。面積 341.79km2。人口 13万3852(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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