尼ヶ崎横町
あまがさきよこちよう
町の中央を東西に出水通が、南北に千本通が通る。平安京大内裏の「采女司」から「内膳司」にかけての跡地(「拾芥抄」の宮城指図)。当町は明治二年(一八六九)「尼ヶ崎町」と「千本横町」を合併して成立した(坊目誌)。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には千本通以東を「あまが崎丁」、以西を「千本横丁」と記し以後この呼称が多い。京都御役所向大概覚書によれば、町絵師海北友竹が居住していた。
明治維新前はともに上古京聚楽組の日暮組に属し、尼ヶ崎町は二一軒役、千本横町は二五軒役を負担した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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