改訂新版 世界大百科事典 「尼崎又右衛門」の意味・わかりやすい解説
尼崎又右衛門 (あまがさきまたえもん)
江戸時代の大坂城出入御用町人。初代吉次は摂津小清水の城主篠原右京亮の子といい,尼崎に生まれたため,大坂に出て尼崎屋又次郎と称した。1634年(寛永11)2代清孝のとき苗字を許されて尼崎又右衛門と称し,以後代々尼崎又右衛門を襲名した。4代茂孝のとき帯刀も許され,延宝年間(1673-81)に新剣先船100隻を建造して,大和川の舟運に乗り出し,次いで元禄年間(1688-1704)には尼崎新田を開発,さらに文化年間(1804-18)には寒天一手取締りの特権を得た。初代が徳川家康に物資を供給して,その覇権確立を助けたため,同じく徳川氏と縁故のあった寺島藤右衛門家,山村与助家とともに,つねに城中に出入りし,江戸から到来の奉書を開封言上したほか,諸役人会合の席には必ず列座,城代・定番の指揮を受けて所用を弁じ〈三町人〉と称された。惣年寄・町年寄の上位の格式であった。
執筆者:藤本 篤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報