尾張町一丁目元地(読み)おわりちよういつちようめもとち

日本歴史地名大系 「尾張町一丁目元地」の解説

尾張町一丁目元地
おわりちよういつちようめもとち

[現在地名]中央区銀座ぎんざ五丁目

尾張町一丁目新地の南に続く。京橋から南下する通り(東海道)に沿った両側町。東は三十間堀さんじつけんぼり五丁目、南は尾張町二丁目、西は南鍋みなみなべ町二丁目。町名は慶長八年(一六〇三)の江戸市街整備の折に役夫を出した国名をとって名付けられたという(徳川実紀)。初め尾張町一丁目であったが(寛文新板江戸絵図など)、元禄一一年(一六九八)数寄屋すきや橋御門前から三十間堀町五丁目までを取払い広小路が造られて火除地とされた時に北方の三分の二が収公され、残りが尾張町一丁目元地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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