尾長谷村(読み)おながだにむら

日本歴史地名大系 「尾長谷村」の解説

尾長谷村
おながだにむら

[現在地名]上郡町尾長谷

上郡村の北東、千種ちくさ川支流鞍居くらい川下流域に位置する。慶長国絵図に尾長谷と地内の地名「そう尻」がみえる。慶長一二年(一六〇七)姫路藩主池田輝政時代、尾長谷村高四六〇石余は国府久孝に知行地として与えられていた(「国府久孝家譜」鳥取県立博物館蔵)。江戸時代の領主の変遷は延享四年(一七四七)までは上郡村に、同年以降は井上いのかみ村に同じ。正保郷帳では田高二九三石余・畠高二三五石余。天保郷帳では高五六四石余。天保七年(一八三六)の上郡組家数人数総寄目録(西脇家文書)によれば、家数一三一(うち医師一)、ほかに寺一、人数五六一、牛五六・馬三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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