日本歴史地名大系 「屋喜内間切」の解説 屋喜内間切やきうちまぎり 鹿児島県:大島郡大和村屋喜内間切大島の中西部北側に位置する。大島七間切の一つで、焼内間切とも記される。琉球王国の地方行政単位で、近世にも継承され、宇検(うきえん)方・大和浜(やまとはま)方の二方に区分されていた。現在の大和村・宇検(うけん)村にあたる地域。源平合戦に敗れた平家の落人が喜界(きかい)島から大島に渡海して領知、平資盛は諸鈍(しゆうどん)(現瀬戸内町)を拠点に東(ひぎや)間切・屋喜内間切を支配したと伝える(安永二年「平家没落由来記」奄美大島史)。嘉靖三三年(一五五四)一二月二七日の琉球辞令書(名柄文書)に「屋けうちまき里」とみえ、首里王府は当間切の名音(のん)の掟職に「たらつゐはん」を任じている。隆慶六年(一五七二)には「屋けうちまきりの屋けうち」の大屋子職(大親職)に「屋まとはま」(現大和村)の目指職の者が任じられている(同年一月一八日「琉球辞令書」和真一郎氏所蔵文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by