屋良部村(読み)やらぶむら

日本歴史地名大系 「屋良部村」の解説

屋良部村
やらぶむら

[現在地名]石垣市崎枝(さきえだ)

崎枝(さきだ)村の西にあった同村小村。集落は屋良部(やらぶ)半島の南端、名蔵(なぐら)湾に突き出た大(おお)崎の近くにあった。崎枝村やらふ森(屋良部岳)の麓には広い土地があり用水の便もよいため、雍正一二年(一七三四)耕地不足に悩む竹富(てーどうん)村(現竹富町)から男女七四人を移住させて屋良部村としたのに始まり、同年新設された崎枝村の小村とした(八重山島年来記・参遣状)。乾隆二年(一七三七)の調査報告(参遣状)によると崎枝村の西三五町にあり、村回り六町三八間、人口六九人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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