20世紀日本人名事典 「山下義韶」の解説 山下 義韶ヤマシタ ヨシアキ 明治〜昭和期の柔道家 生年元治2年2月16日(1865年) 没年昭和10(1935)年10月26日 出身地神奈川県小田原 学歴〔年〕二松学舎(現・二松学舎大学) 経歴明治17年講道館に入門、18年の警視庁武術大会で揚心流の強豪照島太郎を破り、講道館に全勝をもたらした。これにより19年警視庁師範となる。22年には福沢諭吉から招かれて慶応義塾師範となり、講道館柔道に隆盛をもたらした。36年渡米、ルーズベルト大統領に柔道を教え、米国各地に柔道を紹介し、39年帰国。また東京高師、皇宮警察などで柔道の指導にあたった。昭和5年9段となり、死後10段を追贈される。講道館四天王の一人。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下義韶」の解説 山下義韶 やました-よしあき 1865-1935 明治-昭和時代前期の柔道家。元治(げんじ)2年2月16日生まれ。講道館にはいり,明治19年警視庁師範。36年渡米し,T.ルーズベルト大統領や海軍兵学校生徒を指導した。講道館四天王のひとり。昭和10年10月26日死去。71歳。死後講道館初の10段をおくられた。相模(さがみ)(神奈川県)出身。二松学舎卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例