山内逸郎(読み)ヤマノウチ イツロウ

20世紀日本人名事典 「山内逸郎」の解説

山内 逸郎
ヤマノウチ イツロウ

昭和・平成期の医師 国立岡山病院名誉院長



生年
大正12(1923)年5月6日

没年
平成5(1993)年6月8日

出生地
岡山県岡山市

学歴〔年〕
岡山医科大学〔昭和22年〕卒

学位〔年〕
医学博士(岡山大学)〔昭和30年〕

主な受賞名〔年〕
岡山県文化賞(昭63年度)〔平成1年〕,国際エレクトリック・シネマ・フェスティバル奨励賞(ビデオアート部門)〔平成3年〕

経歴
昭和27年国立岡山病院小児科医長。30〜32年米国ニューヨーク州立大生理学教室留学。50年全国に先駆けて小児医療センターを設立新生児の救急医療体制を整備。小児医療センター長、副院長を経て、57年より院長。54年未熟児網膜症診療を容易にした「経皮黄疸計」を開発。また母乳運動をすすめ、61年には全国初の乳房センターを開設した。51年の鹿児島の5つ子誕生の際には現地で医師団を指導した。平成元年退官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内逸郎」の解説

山内逸郎 やまのうち-いつろう

1923-1993 昭和後期-平成時代の小児科医。
大正12年5月5日生まれ。昭和27年国立岡山病院小児科医長となり,57年病院長。未熟児の保育システムを確立し,未熟児網膜症の発生をへらす。また「母乳運動」に力をそそいだ。平成5年6月8日死去。70歳。岡山県出身。岡山医大(現岡山大)卒。著作に「母乳は愛のメッセージ」「新生児」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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