山口秀高(読み)ヤマグチ ヒデタカ

20世紀日本人名事典 「山口秀高」の解説

山口 秀高
ヤマグチ ヒデタカ

明治・大正期の医師



生年
元治2年1月(1865年)

没年
大正5(1916)年12月26日

出身地
江戸

学歴〔年〕
帝国大学卒

経歴
明治22年帝国大学医科大学を卒業後、助手として勤務。23〜27年沖縄県立病院長として赴任、同年日本生命保険医長となる。29年台湾に渡り台湾総督府医院長などを務める。35年ドイツ、オーストリア留学を命じられベルリン大学ウィーン大学ライプチヒ大学で眼科学を専攻、更にフランス、英国、米国各地を歴遊して、37年帰国。翌38年東京神田錦町で開業し、医師開業試験委員を務め、44年鉄道保健課事務嘱託、東京鉄道病院眼科部主任となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口秀高」の解説

山口秀高 やまぐち-ひでたか

1865-1916 明治-大正時代眼科医
元治(げんじ)2年1月生まれ。沖縄県立病院長,台湾総督府医院長をつとめる。ドイツ留学後,東京の神田で開業し,東京鉄道病院につとめた。大正5年12月26日死去。52歳。江戸出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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