山名 正夫(読み)ヤマナ マサオ

20世紀日本人名事典 「山名 正夫」の解説

山名 正夫
ヤマナ マサオ

昭和期の航空工学者 東京大学工学部教授。



生年
明治38(1905)年12月25日

没年
昭和51(1976)年1月27日

出生地
兵庫県神戸市

学歴〔年〕
東京帝大工学部航空学科〔昭和4年〕卒,東京帝大大学院修了

学位〔年〕
工学博士〔昭和7年〕

経歴
昭和6〜20年海軍航空技術廠で飛行機の研究と設計に従事爆撃機彗星」の主任設計者を務めた。10年東京大学助教授、18年教授を兼任。戦後28年自家用飛行機操縦士の資格を取り、29〜31年防衛庁技術研究所第6部長を務める。31〜41年東京大学教授に戻り、後明治大学工学部教授となった。41年2月4日に起きた全日空ボーイング727型機の羽田沖墜落事故で全日空機事故技術調査団に参加、機材欠陥で失速したと主張したが、受け入れられず、学者の良心が許さないとして45年団員を辞任。調査団は原因不明との報告書を同年9月提出した。この事故は「最後の30秒」という著書にまとめられた。他に「飛行機設計論」(中口博と共著)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報