日本大百科全書(ニッポニカ) 「彗星」の意味・わかりやすい解説
彗星
すいせい
ほうき星ともいう。英語ではコメットcometで髪を意味する。彗星は惑星・小惑星などとともに太陽を巡る天体の一つであり、その多くは暗く、望遠鏡でだけ見えるが、まれに明るいものが長い尾をもって突然に現れる。そのときは1~2週間は肉眼でも見え、夜空でもっとも目だつ天体になる。昔から災いの兆しとされることが多く、今日もその傾向が一部にある。しかし彗星の本体は直径10キロメートル以下の氷の塊にすぎず、地球や人間に影響を及ぼすことなどはない。
彗星は毎年10個ほど観測されてきた。そのうち平均4個は新彗星であり、残りは短周期彗星とよばれる同じ彗星が二度以上現れる場合である。1990年代以降、小惑星、彗星など太陽系小天体の意味が見直されるようになり、観測手段も進んで、毎年の小天体発見数は格段に増している。彗星は小惑星と違い、円板や恒星状の点でなく、かならずぼんやりした広がりが見える。その部分をコマ(髪の意)という。尾のない彗星も多いが、それは、ないのではなく、薄くて見えないというのが正しい。
[斉藤馨児]
軌道
周期200年以上の彗星を長周期彗星という。長いものは周期が数十万年に及ぶ。観測される彗星の軌道は、一般につぶれた楕円(だえん)で、太陽にもっとも近づく点(近日点)は4天文単位(天文単位とは地球―太陽間の平均距離)以内にあり、離れる点(遠日点)は数天文単位より遠くにある。周期200年の場合、遠日点距離は67天文単位で冥王(めいおう)星軌道の約2倍の距離にあたる。
周期が数千年以上の彗星は太陽の近くではほとんど放物線と変わらない軌道を描く。一部の彗星は二度とは太陽を訪れないはずの双曲線軌道をたどる。ただし双曲線とはいっても放物線との差はわずかである。このなかに星間空間から太陽系へ飛び込んできた放浪彗星があるはずであるが、まだ観測で確かめられたことはない。
短周期彗星(周期200年以内)のなかには木星の軌道の内外に遠日点をもつものが多い。これを木星族彗星という。長周期彗星が木星の近くを通過したとき引力で短周期に変わったと考えられている。土星・天王星・海王星の軌道まで行く彗星がすこしあり、土星族・天王星族などという。周期彗星は暗いものが多く、大彗星は海王星族のハリー彗星(ハレー彗星)だけである。
彗星軌道は形ばかりか軌道面の黄道面となす角度(軌道面傾斜角)に特徴がある。惑星と小惑星は傾斜角が20度以下であるが、長周期彗星ではこの角度はまちまちで、軌道が黄道面に集中する傾向はない。また惑星などとは逆回りに軌道を巡るものが半数を占める。木星族彗星だけは黄道面との傾斜角が30度以下と小さく、運動の向きも惑星と同じである。新たに発見される短周期彗星は、近日点の距離が1天体単位を超えていて、地球軌道の内側までは入ってこないものが目だつ。これは偶然ではない一つの特徴になっている。
[斉藤馨児]
命名
長周期の新彗星は軌道の特徴のため、いつ、空のどこに出てくるか予想できない。彗星の発見のために世界中でアマチュア天文家が毎夜捜索をしている。発見報告は地域の天文台(日本では国立天文台)を経てアメリカのスミソニアン天文台へ送られる。彗星と決まればその順に出現年と文字a、b、c、……をつけて仮の番号とし、新彗星なら発見者の名前(複数のときは3人まで)でよぶ。最近では暗い彗星までみつかるほか、短周期彗星は軌道の全周で観測できるものが増えたため、1995年から仮番号のつけ方が変わった。発見年に続き各彗星の発見時期によって、1月前半ならA1、A2……、後半はB1、B2……、12月後半であればY1、Y2……とする(Iは使わない)。周期彗星は最初の発見のときだけ仮番号をつける。軌道が計算されたあと、近日点通過の年と、通過の順にⅠ、Ⅱ、Ⅲ、……の番号をつけて確定番号とする。たとえば池谷(いけや)‐関彗星の仮番号は1965f、確定番号は1965Ⅷである。
また、わずかだが発見者でなく研究者の名でよぶ彗星があり、ハリー彗星、エンケ彗星が有名である。
[斉藤馨児]
本体
彗星のコマの尾は、薄いガスや小さな固体の粒が太陽の光を受けて光っているものである。コマの中心部に、地球からは見えない彗星の本体があって、ガスと塵粒(ちりつぶ)を出している。
19世紀の中ごろ、流星群の空間軌道のなかに特定の彗星と一致するものが、初めていくつもみつかり、彗星は流星の母天体とわかった。そのため、彗星の本体は流星物質の濃密な集団とする考えが有力となった。しかし彗星は、太陽に近づくたびに繰り返し固体粒と多量のガスとを放出し、何度回帰してもたやすくは分解しない。これらを説明するため、1950年アメリカのホイップルFred Lawrence Whipple(1906―2004)は、彗星の本体はガス物質の氷と固体の粒とからなる「雪玉」だとする説をたてた。
彗星の運動には万有引力だけでは理解できないわずかな乱れがある。これはエンケ彗星でみつかり、多数の短周期彗星で認められてきた。雪玉説ではこの乱れを、本体の特定な部分からガス放出がおこるためのジェット作用だとする。そう考えると運動の乱れが量の点まで説明できる。1986年3月、ハリー彗星に近づいた探査機「ベガ」1号・2号と「ジオット(ジョット)」は、彗星本体のテレビ撮影に成功して、ホイップル説の正しさを実証した。
彗星の本体を核ともいう。彗星が太陽から遠く、コマの光が薄いとき、彗星の光度を測ると核の大きさが推定できる。大彗星で半径数キロメートル、木星族彗星では1キロメートルから数百メートルである。
宇宙にもっとも多量に存在する元素は水素(H)で、次に多いのは酸素(O)、炭素(C)、窒素(N)である。雪玉説によると彗星のガス物質はこれら気体元素の化合物すなわち水や二酸化炭素、メタン、アンモニアなどが宇宙の低温で凝結し、混じり合って氷となったもので、ほかに複雑な炭素化合物を微量成分として含んでいる。固体の粒はケイ素、鉄、マグネシウムなど非揮発性元素の固体化合物である。
[斉藤馨児]
コマと尾
彗星が太陽まで3天文単位に近づくと氷の蒸発が激しくなり、固体粒もガス圧にのって出てくる。蒸発ガスは母物質(ぼぶっしつ)ともいい、太陽紫外線の作用で分解して娘物質(むすめぶっしつ)を生じる。たとえば水H2Oは、OH、H、Oに分かれ、二酸化炭素CO2はCO+、O、Cになる。母物質は可視光に対して透明だが、娘物質のなかには可視域の太陽光を吸収し再放出するものがある。そのため娘物質は光り、その広がりが目に見えるようになる。それがコマと尾との形をつくる。
コマは太陽から1.5天文単位で急に明るさを増し、1天文単位で最大になって半径数万~十数万キロメートルに達する。1天文単位以内では太陽紫外線が娘分子を分解する力が強くなるため、コマはかえって縮む。尾は1.5天文単位からでき始め、大彗星では1億キロメートルを超えることもある。
コマの発光分子は、目に感じるものとしては炭素C2、シアン基CNが強い。紫外域では水素、酸素などの原子がある。尾の発光分子はすべてプラス・イオンになっている。C2とCNは19世紀から観測された。C2は緑・青域にスペクトル群をもち、目に映るコマの広がりを決める。そのため彗星は目で緑色に見える。CNは紫域に強い光を出していて写真に写るコマの形を決める。1970年代に電波望遠鏡により、アセトニトリルCH3CN、シアン化水素HCN、水が検出された。これらは母分子の一つと考えられる。
太陽まで0.8天文単位にきた彗星はナトリウム原子のスペクトルを示す。池谷‐関彗星は太陽に近づいたあと、鉄、ニッケル、クロム、銅などの金属原子が現れた。これは固体粒が蒸発したことを示す。
彗星の尾は普通2筋(すじ)に分かれる。一つは細くて、太陽と反対方向にまっすぐ伸び、内部に筋や細かな屈曲、明るさのむらを認める。分子イオンとマイナス電子とからなるプラズマが太陽風と惑星間磁場の流れにのって飛び去っているものである。
もう一つの尾は短いが太く、彗星の運動の後ろへすこし取り残されるように先が曲がる。むらはない。明るさが強く、この尾の著しい彗星は大彗星となる。スペクトルをみると太陽光の反射で、固体粒からなるとわかる。粒がきわめて小さいため、太陽光の光圧を受けて押し流されているのである。尾の曲がりの程度から光圧がわかり、粒の大きさと、ときには種類が推定できる。
まれに太陽の方向に短い尾を見ることがあり、「反対尾」という。彗星の後ろからついていく流星物質の集団が、彗星軌道と地球との位置の関係で見えるもので、彗星から流星物質の生まれる現実の証明になる。
1960年中ごろから、コマ中心域から出てくる赤外線が観測されている。固体粒が太陽光で温められ赤外線を出しているもので、粒の大きさと形・種類などを知る資料が得られる。赤外光と尾の形との分析によると、固体粒の大きさは10マイクロメートル以下、尾では1マイクロメートルほどの微粒が多い。ケイ酸塩(隕石(いんせき)と似る)と鉄質の粒からなり少量の炭素質の粒を含むことも考えられる。
[斉藤馨児]
起源と終末
彗星は回帰のたびに物質を放出し数百回太陽に近づいたあとは消えてしまう。しかし太陽系の誕生以来46億年を経た今日でも新彗星が現れる。エストニアのエーピクErnst Julius Öpik(1893―1985)やオランダのオールトらは長周期彗星の軌道の大きさを検討して、太陽まで4万~15万天文単位の遠距離に彗星の大群があり、太陽を巡っているという考えに達した。その考えによれば、その数は1000億個ほどあり、それらはときどき太陽系に近づく恒星の作用で、一部分が太陽へ落ち込む軌道に変わり、やがて新彗星として出てくる。太陽と太陽系は星間ガスと星間塵(じん)とが凝集して生まれたが、そのとき惑星まで成長できなかった微惑星が、惑星の作用で太陽系の外縁へ拡散して彗星雲をつくったのではないかという。そしてもしそうであるなら彗星は太陽系の誕生の謎(なぞ)を秘めていることになる。彗星の母物質のなかに星間分子と似たものがあり、彗星の固体粒の化学組成が星間塵と似ていることは、この考えの支えとなる。
短周期彗星はガス物質を放出してしまうと隕石の一種に似た天体になるらしい。彗星の固体物質は流星の母物質であるほか、小さな粒は太陽系の空間に広がって黄道光の原因物質になるとみられている。
[斉藤馨児]
『長谷川一郎著『星空のトラベラー』(1975・誠文堂新光社)』▽『冨田弘一郎著『彗星の話』(1977・岩波新書)』▽『斉藤馨児著『彗星――その実像を探る』(1983・講談社・ブルーバックス)』▽『中村士・山本哲生著『彗星――彗星科学の最前線』(1984・恒星社厚生閣)』▽『日本天文学会編『ハレー彗星をとらえた』(1986・東京大学出版会)』▽『桜井邦朋・清水幹夫編『彗星――その本性と起源』(1989・朝倉書店)』▽『藤井旭著『彗星大接近――彗星はどこからやってくる?』(2002・偕成社)』