彗星(読み)スイセイ

デジタル大辞泉 「彗星」の意味・読み・例文・類語

すい‐せい【×彗星】

ほとんどガス体(気体)からなる、太陽系の小天体。固体の集合体である核と、太陽に近づいたときその表面から放出されたガスや微粒子からなるコマ、およびほとんど太陽と正反対の方向に伸びる尾とからなる。細長い楕円軌道を描き、昔はその出現が凶兆として恐れられた。ほうき星コメット
その世界で急に注目されだした有能な新人などのたとえ。「文壇の彗星
[類語]スター恒星惑星星座綺羅星星辰星屑星雲星団天の川銀河首星流星流れ星箒星一番星一等星新星超新星変光星ブラックホール連星主星伴星遊星小惑星衛星α星

すいせい[彗星探査機]

昭和60年(1985)8月に打ち上げられた彗星探査機PLANET-Aプラネットエーの愛称。宇宙科学研究所(現JAXA宇宙航空研究開発機構)が開発。76年ぶりに回帰したハレー彗星に15万キロメートルまで接近。先立って打ち上げられた試験機さきがけとともに国際協力探査計画に参加し、紫外線撮像装置による彗星の中心核部分の撮影と太陽風の観測に成功した。平成3年(1991)2月に運用を終了した。

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精選版 日本国語大辞典 「彗星」の意味・読み・例文・類語

すい‐せい【彗星】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 太陽系に属し、楕円・放物線または双曲線の軌道を描いて運動する星雲状の天体。核・こま・尾から構成され、ガスや固体粒子が広大な外観を呈するが、核の固体は比較的小さい。太陽に近づくにしたがい、明るさを増し、尾は太陽の反対側へ流れる。昔から、不吉の前兆としてその出現が恐れられた。箒星(ほうきぼし)。コメット。
    1. [初出の実例]「彗星守月」(出典:続日本紀‐養老二年(718)一一月壬寅)
    2. 「康安二年二月に都には彗星客星同時出たりとて、天文博士共内裏へ召れて吉凶を占ひ申けり」(出典:太平記(14C後)三八)
    3. [その他の文献]〔春秋左伝‐昭公二六年〕
  3. の出現が急で、めだつところから、ある世界で突然注目され始めたときに比喩として使う。「画壇の彗星」
    1. [初出の実例]「中央石炭業界に彗星的に現われた人で」(出典:財界を支配する百人(1948)〈山本正雄〉円城寺松一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「彗星」の意味・わかりやすい解説

彗星
すいせい

ほうき星ともいう。英語ではコメットcometで髪を意味する。彗星は惑星・小惑星などとともに太陽を巡る天体の一つであり、その多くは暗く、望遠鏡でだけ見えるが、まれに明るいものが長い尾をもって突然に現れる。そのときは1~2週間は肉眼でも見え、夜空でもっとも目だつ天体になる。昔から災いの兆しとされることが多く、今日もその傾向が一部にある。しかし彗星の本体は直径10キロメートル以下の氷の塊にすぎず、地球や人間に影響を及ぼすことなどはない。

 彗星は毎年10個ほど観測されてきた。そのうち平均4個は新彗星であり、残りは短周期彗星とよばれる同じ彗星が二度以上現れる場合である。1990年代以降、小惑星、彗星など太陽系小天体の意味が見直されるようになり、観測手段も進んで、毎年の小天体発見数は格段に増している。彗星は小惑星と違い、円板や恒星状の点でなく、かならずぼんやりした広がりが見える。その部分をコマ(髪の意)という。尾のない彗星も多いが、それは、ないのではなく、薄くて見えないというのが正しい。

[斉藤馨児]

軌道

周期200年以上の彗星を長周期彗星という。長いものは周期が数十万年に及ぶ。観測される彗星の軌道は、一般につぶれた楕円(だえん)で、太陽にもっとも近づく点(近日点)は4天文単位(天文単位とは地球―太陽間の平均距離)以内にあり、離れる点(遠日点)は数天文単位より遠くにある。周期200年の場合、遠日点距離は67天文単位で冥王(めいおう)星軌道の約2倍の距離にあたる。

 周期が数千年以上の彗星は太陽の近くではほとんど放物線と変わらない軌道を描く。一部の彗星は二度とは太陽を訪れないはずの双曲線軌道をたどる。ただし双曲線とはいっても放物線との差はわずかである。このなかに星間空間から太陽系へ飛び込んできた放浪彗星があるはずであるが、まだ観測で確かめられたことはない。

 短周期彗星(周期200年以内)のなかには木星の軌道の内外に遠日点をもつものが多い。これを木星族彗星という。長周期彗星が木星の近くを通過したとき引力で短周期に変わったと考えられている。土星・天王星・海王星の軌道まで行く彗星がすこしあり、土星族・天王星族などという。周期彗星は暗いものが多く、大彗星は海王星族のハリー彗星(ハレー彗星)だけである。

 彗星軌道は形ばかりか軌道面の黄道面となす角度(軌道面傾斜角)に特徴がある。惑星と小惑星は傾斜角が20度以下であるが、長周期彗星ではこの角度はまちまちで、軌道が黄道面に集中する傾向はない。また惑星などとは逆回りに軌道を巡るものが半数を占める。木星族彗星だけは黄道面との傾斜角が30度以下と小さく、運動の向きも惑星と同じである。新たに発見される短周期彗星は、近日点の距離が1天体単位を超えていて、地球軌道の内側までは入ってこないものが目だつ。これは偶然ではない一つの特徴になっている。

[斉藤馨児]

命名

長周期の新彗星は軌道の特徴のため、いつ、空のどこに出てくるか予想できない。彗星の発見のために世界中でアマチュア天文家が毎夜捜索をしている。発見報告は地域の天文台(日本では国立天文台)を経てアメリカのスミソニアン天文台へ送られる。彗星と決まればその順に出現年と文字a、b、c、……をつけて仮の番号とし、新彗星なら発見者の名前(複数のときは3人まで)でよぶ。最近では暗い彗星までみつかるほか、短周期彗星は軌道の全周で観測できるものが増えたため、1995年から仮番号のつけ方が変わった。発見年に続き各彗星の発見時期によって、1月前半ならA1、A2……、後半はB1、B2……、12月後半であればY1、Y2……とする(Iは使わない)。周期彗星は最初の発見のときだけ仮番号をつける。軌道が計算されたあと、近日点通過の年と、通過の順にⅠ、Ⅱ、Ⅲ、……の番号をつけて確定番号とする。たとえば池谷(いけや)‐関彗星の仮番号は1965f、確定番号は1965Ⅷである。

 また、わずかだが発見者でなく研究者の名でよぶ彗星があり、ハリー彗星、エンケ彗星が有名である。

[斉藤馨児]

本体

彗星のコマの尾は、薄いガスや小さな固体の粒が太陽の光を受けて光っているものである。コマの中心部に、地球からは見えない彗星の本体があって、ガスと塵粒(ちりつぶ)を出している。

 19世紀の中ごろ、流星群の空間軌道のなかに特定の彗星と一致するものが、初めていくつもみつかり、彗星は流星の母天体とわかった。そのため、彗星の本体は流星物質の濃密な集団とする考えが有力となった。しかし彗星は、太陽に近づくたびに繰り返し固体粒と多量のガスとを放出し、何度回帰してもたやすくは分解しない。これらを説明するため、1950年アメリカのホイップルFred Lawrence Whipple(1906―2004)は、彗星の本体はガス物質の氷と固体の粒とからなる「雪玉」だとする説をたてた。

 彗星の運動には万有引力だけでは理解できないわずかな乱れがある。これはエンケ彗星でみつかり、多数の短周期彗星で認められてきた。雪玉説ではこの乱れを、本体の特定な部分からガス放出がおこるためのジェット作用だとする。そう考えると運動の乱れが量の点まで説明できる。1986年3月、ハリー彗星に近づいた探査機「ベガ」1号・2号と「ジオット(ジョット)」は、彗星本体のテレビ撮影に成功して、ホイップル説の正しさを実証した。

 彗星の本体を核ともいう。彗星が太陽から遠く、コマの光が薄いとき、彗星の光度を測ると核の大きさが推定できる。大彗星で半径数キロメートル、木星族彗星では1キロメートルから数百メートルである。

 宇宙にもっとも多量に存在する元素は水素(H)で、次に多いのは酸素(O)、炭素(C)、窒素(N)である。雪玉説によると彗星のガス物質はこれら気体元素の化合物すなわち水や二酸化炭素、メタン、アンモニアなどが宇宙の低温で凝結し、混じり合って氷となったもので、ほかに複雑な炭素化合物を微量成分として含んでいる。固体の粒はケイ素、鉄、マグネシウムなど非揮発性元素の固体化合物である。

[斉藤馨児]

コマと尾

彗星が太陽まで3天文単位に近づくと氷の蒸発が激しくなり、固体粒もガス圧にのって出てくる。蒸発ガスは母物質(ぼぶっしつ)ともいい、太陽紫外線の作用で分解して娘物質(むすめぶっしつ)を生じる。たとえば水H2Oは、OH、H、Oに分かれ、二酸化炭素CO2はCO+、O、Cになる。母物質は可視光に対して透明だが、娘物質のなかには可視域の太陽光を吸収し再放出するものがある。そのため娘物質は光り、その広がりが目に見えるようになる。それがコマと尾との形をつくる。

 コマは太陽から1.5天文単位で急に明るさを増し、1天文単位で最大になって半径数万~十数万キロメートルに達する。1天文単位以内では太陽紫外線が娘分子を分解する力が強くなるため、コマはかえって縮む。尾は1.5天文単位からでき始め、大彗星では1億キロメートルを超えることもある。

 コマの発光分子は、目に感じるものとしては炭素C2、シアン基CNが強い。紫外域では水素、酸素などの原子がある。尾の発光分子はすべてプラス・イオンになっている。C2とCNは19世紀から観測された。C2は緑・青域にスペクトル群をもち、目に映るコマの広がりを決める。そのため彗星は目で緑色に見える。CNは紫域に強い光を出していて写真に写るコマの形を決める。1970年代に電波望遠鏡により、アセトニトリルCH3CN、シアン化水素HCN、水が検出された。これらは母分子の一つと考えられる。

 太陽まで0.8天文単位にきた彗星はナトリウム原子のスペクトルを示す。池谷‐関彗星は太陽に近づいたあと、鉄、ニッケル、クロム、銅などの金属原子が現れた。これは固体粒が蒸発したことを示す。

 彗星の尾は普通2筋(すじ)に分かれる。一つは細くて、太陽と反対方向にまっすぐ伸び、内部に筋や細かな屈曲、明るさのむらを認める。分子イオンとマイナス電子とからなるプラズマが太陽風と惑星間磁場の流れにのって飛び去っているものである。

 もう一つの尾は短いが太く、彗星の運動の後ろへすこし取り残されるように先が曲がる。むらはない。明るさが強く、この尾の著しい彗星は大彗星となる。スペクトルをみると太陽光の反射で、固体粒からなるとわかる。粒がきわめて小さいため、太陽光の光圧を受けて押し流されているのである。尾の曲がりの程度から光圧がわかり、粒の大きさと、ときには種類が推定できる。

 まれに太陽の方向に短い尾を見ることがあり、「反対尾」という。彗星の後ろからついていく流星物質の集団が、彗星軌道と地球との位置の関係で見えるもので、彗星から流星物質の生まれる現実の証明になる。

 1960年中ごろから、コマ中心域から出てくる赤外線が観測されている。固体粒が太陽光で温められ赤外線を出しているもので、粒の大きさと形・種類などを知る資料が得られる。赤外光と尾の形との分析によると、固体粒の大きさは10マイクロメートル以下、尾では1マイクロメートルほどの微粒が多い。ケイ酸塩(隕石(いんせき)と似る)と鉄質の粒からなり少量の炭素質の粒を含むことも考えられる。

[斉藤馨児]

起源と終末

彗星は回帰のたびに物質を放出し数百回太陽に近づいたあとは消えてしまう。しかし太陽系の誕生以来46億年を経た今日でも新彗星が現れる。エストニアのエーピクErnst Julius Öpik(1893―1985)やオランダオールトらは長周期彗星の軌道の大きさを検討して、太陽まで4万~15万天文単位の遠距離に彗星の大群があり、太陽を巡っているという考えに達した。その考えによれば、その数は1000億個ほどあり、それらはときどき太陽系に近づく恒星の作用で、一部分が太陽へ落ち込む軌道に変わり、やがて新彗星として出てくる。太陽と太陽系は星間ガスと星間塵(じん)とが凝集して生まれたが、そのとき惑星まで成長できなかった微惑星が、惑星の作用で太陽系の外縁へ拡散して彗星雲をつくったのではないかという。そしてもしそうであるなら彗星は太陽系の誕生の謎(なぞ)を秘めていることになる。彗星の母物質のなかに星間分子と似たものがあり、彗星の固体粒の化学組成が星間塵と似ていることは、この考えの支えとなる。

 短周期彗星はガス物質を放出してしまうと隕石の一種に似た天体になるらしい。彗星の固体物質は流星の母物質であるほか、小さな粒は太陽系の空間に広がって黄道光の原因物質になるとみられている。

[斉藤馨児]

『長谷川一郎著『星空のトラベラー』(1975・誠文堂新光社)』『冨田弘一郎著『彗星の話』(1977・岩波新書)』『斉藤馨児著『彗星――その実像を探る』(1983・講談社・ブルーバックス)』『中村士・山本哲生著『彗星――彗星科学の最前線』(1984・恒星社厚生閣)』『日本天文学会編『ハレー彗星をとらえた』(1986・東京大学出版会)』『桜井邦朋・清水幹夫編『彗星――その本性と起源』(1989・朝倉書店)』『藤井旭著『彗星大接近――彗星はどこからやってくる?』(2002・偕成社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「彗星」の意味・わかりやすい解説

彗星 (すいせい)
comet

太陽系を構成する天体の一つで,希薄なガスに包まれ,ときには長い尾を引いて,ほうきの形に見え〈ほうきぼし〉とも呼ばれる。“すい星のように……”とは,優れた人物がその社会に突然現れるときに使われる表現である。

 何らの予告もなく,突然出現し,姿,形を変える大すい星の存在は太古から知られていて,日・月食などとともに人々の恐怖の的となり,迷信の対象となっていた。中国では古くからその字が示すようにすい星は天体であると考えられていたが,西洋ではアリストテレス以来,長い間すい星は虹や稲妻のように,地球大気内の現象だと思われていた。

 1577年に出現した大すい星を,デンマークのT.ブラーエは詳しく観測した。同じすい星を約650km離れたプラハで観測したものと比較して,周囲の恒星との関係位置にまったく差がないことから,すい星は月よりも遠いことが知られ,天体であることがわかった。I.ニュートンは,すい星も万有引力の法則に従って運動し,その軌道は太陽を焦点とする放物線であると考え,その軌道計算法を発表した。E.ハリーはこの方法によって,それまで観測記録の残っているすい星の軌道を計算し,その結果,1531年,1607年,82年に出現した三つのすい星の軌道が非常によく似ていて,出現の間隔がほぼ76年であることから,これらは同一のすい星が繰り返し出現したものであると考え,次は1758年末か59年初めに再び現れるはずであると予言した。1758年12月25日夜,ドイツのアマチュア天文家パリッチJ.G.Palitzschがこのすい星の再現を観測し,周期すい星の存在が確認された。これは望遠鏡によるすい星掃索の初めであるとともに,アマチュアによるすい星発見の第1号である。このすい星は,ハリーすい星と命名され,1835年,1910年,1986年に再来した。次回出現は2061年で,出現が予知できる唯一の大すい星である。

 1818年11月,フランスのJ.L.ポンスが発見した小すい星の軌道をドイツのJ.F.エンケが計算したところ,周期が約3.3年の楕円軌道が求められ,1786年,95年,1805年に出現した小すい星と同じであることがわかり,短周期すい星の存在が初めて知られた。このすい星はエンケすい星と呼ばれている。

 すい星は毎年十数個出現するが,半数は新すい星で,熱心なアマチュアのすい星掃索者が望遠鏡を使って目で見て発見する。他の目的で撮影した天体写真に偶然に写っていることもある。残りの半数は周期すい星の再現で,図1に1871年以降1980年までの5年ごとの出現数を,新すい星の発見と周期すい星の再現に分けて示した。熱心なすい星掃索者が活躍しているときは出現数が増えている。近年になって観測技術が向上して,暗いすい星まで観測できるようになり,すい星の出現数が増加している。83年1月に打ち上げられた赤外線天文観測衛星アイラスIRASは,同年4月から11月までの間に6個の新すい星を発見した。発見されず見のがされているすい星はかなりの数になるものと考えられる。

 有史以来,出現が記録されたすい星は,約1800個あり,1981年までにそのうちの710個のすい星について詳しい軌道が計算された。121個は周期が200年以内の短周期すい星で,169個は長い周期の楕円,316個は放物線,104個は双曲線の軌道が計算されている。すい星が出現すると,その年の年号の後に,1月1日~15日の期間に発見された1番目ならA1,16日~31日までに発見された1番目ならB1,12月16日~31日までの期間に発見された2番目ならY2……(Iは除く)とつけた仮符号が与えられ,発見者の名前が命名される。1995年7月23日にアメリカのヘールとボップの2人が発見した世紀の大すい星は,1995O1すい星の仮符号がついている。複数の人が発見したときは,発見順に3人まで名前を明記する。周期すい星の再現のときは検出といわれ,観測した人の名はつけない。何度も再現している周期すい星の場合は,仮符号はつけずに登録番号がつけられて,ハリーすい星が1P,エンケすい星は2Pと記載される。

すい星は見かけ上,頭部と尾部に分けられる。頭部は中心付近がとくに輝く中央集光と呼ばれる部分と,それをとりまく淡く広がったコマ(髪)と呼ばれる部分からできている。すい星の中には中央集光が見えないものもある。中央集光の中心付近には,すい星の本体である核が存在するはずであるが,地球から直接は見えないものと考えられる。核の大きさは直径1~10kmほどで,1950年代にアメリカのホイップルF.L.Whippleは,〈汚れた雪玉〉説と呼ばれるモデルを唱えた。すい星核はメタン,二酸化炭素,アンモニア,水などが凍ってできた雪と,直径が数cm以下のあらゆる大きさをもった固体粒子がまじりあった一つの不規則な形をした塊で,質量1015g,平均密度1.1g/cm3,10~100時間の周期で自転しているらしい。

 すい星が太陽から遠く離れているときは,太陽光を反射して見えているが,太陽から3天文単位(1天文単位=1.496×108km)に近づくと凍った物質が太陽熱を受けて蒸発を始め,コマを形づくり互いに化学反応を起こしたり,太陽光の作用で解離・イオン化して発光し,ボーッと広がって見える。コマの直径は平均10万km程度で,今までの最大のものは180万kmあった。コマの大きさは,太陽に近づくと小さくなる場合もある。

 尾はすい星が太陽に1.5天文単位くらいまで近づくと発生するもので,頭部から太陽の反対方向にまっすぐのびる青い色をしたタイプⅠの尾と,少し湾曲し赤みがかったタイプⅡの尾の2種類がある。小さいすい星では尾が見えないものも多いが,太陽から4天文単位も離れていて,激しく変化する尾をもつすい星もあった。

 タイプⅠの尾は気体であって,一酸化炭素イオンCO⁺が含まれ,スペクトルには紫色から緑色の波長域に強い輝線群を示す。太陽の光圧を受けてコマから出た気体は“太陽風”と呼ばれる荷電粒子の流れにのって,秒速200~1000kmの速さで吹きながされているとの考えを,1950年にドイツのビールマンL.Biermannが唱えた。尾の長さは3億kmを超すものもあった。

 タイプⅡの尾は,固体粒子ダストの集りで,分光器では太陽光を反射した連続スペクトルが見える。核から気体の蒸発に引きずられてとび出したダストは,太陽の光圧を受け,引力に対抗する力,斥力を得て頭部からしだいに離れ,すい星の軌道面内に展開する。粒子の種類と半径によって受ける斥力が違い,小さいものほど早く頭部から遠ざかる。同時に核からとび出したダストは,大きさの順に並び,同時放出線シンクロンという曲線を描く。尾の中で同じ斥力を受けた物質をつらねた線は,等斥力線シンダインといい,すい星の尾の形はその軌道面内に広がった無数の等斥力線の集合である。地球とすい星の軌道面との位置関係によって,すい星の尾の見かけの形が変わり,地球が軌道面の極の方向にあるときは,すい星の尾は扇状に大きく広がって見える。地球が軌道面内にあるときは,タイプⅡの尾の一部が,すい星頭部から太陽方向に延びているように見えることもある。

 オランダのJ.H.オールトは,放物線またはそれに近い細長い楕円や,双曲線軌道をもったすい星の軌道に及ぼす惑星の引力の影響(摂動という)を計算して,すい星の原始軌道を調査し,1万天文単位を超えるところから楕円軌道をたどって太陽に近づいてくるすい星が多数あることを知った。それをもとに太陽からはるか1万~10万天文単位のところに,総数1000億個に及ぶすい星の巣があるという考えを1950年に発表した。これをオールトのすい星の雲といい,太陽系ができたときの原始太陽系星雲の一部が残っているのだと考えられる。その一部は太陽系の外をたまたま通過する恒星の引力によって乱されて太陽系の外にはじきとばされたり,あるものは太陽系の中心部に向かう長周期の軌道にのりうつる。5天文単位ほどまで太陽に近づくと,太陽熱を受けて表面の昇華温度の低い二酸化炭素,メタンなどのガスが蒸発を始め,ダストが押し出されてコマを形づくり,明るくなって新すい星として発見される。オールトの雲からでて,初めて太陽に近づく〈処女すい星〉は大量のガスとダストを放出してりっぱなタイプⅠとⅡの尾を形づくり大すい星となることが多い。

 ケプラーの第2法則(面積速度一定)によって,細長い楕円軌道をたどるすい星が太陽の近くに滞在する時間はきわめて短く,近日点を通過した後,すい星は尾を先にして太陽から遠ざかっていく。数千年の周期で繰り返して太陽に近づくたびに,すい星の本体からは揮発性物質が失われていく。若かったすい星の表面から氷物質が揮発してしまい,小さな粒子もとばされて少なくなって1mm以上の比較的大きな粒だけが集合した多孔質のこわれやすい固体表面となる。その下には揮発温度の高い水を主成分とした氷物質を含む層がある。それらは3天文単位から蒸発が始まりダストよりガスの量が多く,太陽に近づくとともに蒸発が激しくなって,急に明るくなり,タイプⅡの尾よりタイプⅠの尾のほうが顕著である。

 すい星が太陽系の内側に入ったとき,たまたま木星や海王星など大惑星の近くを通りすぎることがある。そのとき惑星の引力による摂動を受けて,軌道が大きく変わり周期の短い楕円軌道にのり移るものがある。短周期すい星はこのようにしてできるが,太陽に繰り返し近づくので揮発物質はたちまち消耗し干からびた中心核だけになってしまう。

 地球から観測される小惑星の中には,軌道の形だけではすい星と区別のできないヒダルゴ,アポロ,イカルスなどがあって,これらはすい星の核ではないかと考えられている。とくに,1983年11月に発見された1983TBという小惑星状の天体は,毎年,12月中旬に出現するふたご座流星群とまったく同じ軌道をもっていることがわかった。

 すい星の頭部や尾から放出されたダストはすい星の軌道に沿ってしだいに広がっていく。この軌道と地球軌道が交差していると,地球とダストの群が衝突する。ダストは地球をとりまく大気中に突入し,激しく熱せられてやがて発光し,地上から流星として見える。ダストの群は平行にとびこむので天空の1点から四方に放射するように見える。毎年8月中旬,ペルセウス座から放射する流星群は,1862年のスイフト=タットルすい星と同じ軌道をもっていることをイタリアのG.V.スキャパレリが初めて指摘した。その後11月のしし座流星群と65年のテンペル第1すい星,10月のりゅう座流星群とジャコビニ=ジンナーすい星など,流星群とすい星の関係が明らかになり,これらを流星群の母すい星と呼んでいる。ふたご座流星群の母すい星は今まで知られていなかったが,1983TBの発見によって,すい星の核が小惑星の一部として残っていて,上に述べたすい星の進化の仮説を裏づけるものだと思われる。

 すい星は小なりとはいえ太陽系を構成する天体の一つで,太陽系の始原物質が凍りついて残っているものであるらしい。大すい星が何ら予告もなく突然出現するために,その本質を究明するための観測事実が十分には得られていない。今後の研究にまつべきものが多い。
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すい星は日食や月食のように予測されることがなく,突然に奇怪な姿で現れるので,その正体を知らなかった時代には,どこの民族も恐怖を感じて,それを戦争,疫病,大日照り,飢饉などの凶兆と信じていた。古代の中国では,これを陰陽の精,邪乱の気が天に現れるものと見,日本へもこの思想が伝わった。日本の記録では《日本書紀》〈舒明紀〉6年秋8月条に〈長き星,南方に見ゆ。時の人,篲星(ははきぼし)と曰(い)ふ〉とあるのがもっとも古く,以下歴代の史書に欠かさずその出現が記載されている。王朝時代には,例えば永祚,承徳,嘉承,天永,久安などの改元は,すい星の変によるという。また鎌倉時代の《愚管抄》には,土御門天皇の譲位は〈すい変〉によったものとある。そしてすい星が現れると僧を宮中に召して仁王百講を行わせ,諸国に呪願文を配布してすい変の終わるまで殺生を禁断し,また諸社に奉幣し,天下に大赦を施した。これらの記事は《吾妻鏡》にもっとも多く見られる。江戸時代に入っては,すい星についても西洋の天文説を引いて人心の動揺を戒めるようになったが,民間では由井正雪の謀反や異国船の渡来などをも,当時のすい星と結びつけていた。1910年にハリーすい星が回帰したときには,人心が不安につつまれて,大阪ではすい星よけのこわ飯を売り出して奇利を博した者があったほどである。西洋でもすい星に対する迷信は東洋と変りはなくて,例えば,アンジェラスの鐘を正午にもつき鳴らすようになったのは,1456年ハリーすい星が現れたのと,トルコ人のヨーロッパ侵入との災害から免れるために始まったという。しかし,必ずしも凶兆とのみ考えられたのでなく,前43年の大すい星を,ローマではカエサルの霊魂が神々の宮殿へ飛ぶものとして仰ぎ見たというような例もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「彗星」の意味・わかりやすい解説

彗星
すいせい
comet

いわゆる「ほうき星」を典型的なものとする天体。微塵の集合である核と,それから発散するガス体が,太陽光線の放射圧と太陽風の影響で長く尾を引いているものが多い。質量と密度は通常きわめて小さい。楕円軌道をもつ周期彗星と,放物線,双曲線の軌道をもつものとに区分されるが,その軌道も,惑星の摂動で不安定なものが多い。周期彗星は現在 200個あまり登録されているが,再来の確認されたものは 40個あまりにすぎない。その周期によって分類し,それぞれの遠日点の位置から,周期 10年以内の木星族 (→木星族彗星 ) ,10~18年の土星族,30年前後の天王星族,70年前後の海王星族に分ける。最も短周期の彗星は,3.3年のエンケ彗星であり,有名なハレー彗星は周期 76年の海王星族である。もと1個の彗星が分裂して数個が同じ軌道を回るものを彗星群といい,またさらに分裂して流星群を残したビエラ彗星のような例もある。光った核の大きさは,1~100km,質量はおよそ 1018g 。大気中には多種の化学種 ( H2O,OH,CH,CH2,CH3,CH4,NH,NH2,NH3,CN,C2N2,CO,CO2 ) およびそのイオンが見つかっている。

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知恵蔵 「彗星」の解説

彗星

彗星は太陽系の小天体で、太陽に近づくと尾が伸び、俗にほうき星と呼ばれる。ハレー彗星が有名だが、近年、百武彗星(1996年)やヘールボップ彗星(97年)などの明るい彗星が現れ多くの人に目撃された。2006年春には核が数十個に分裂したシュワスマン・ワハマン彗星が肉眼でも目撃されて話題になった。彗星の頭部は中心部の明るく輝く核と、これをとりまくコマ(髪の意)からなる。彗星の正体は「汚れた雪玉」といわれ、氷・ドライアイスなどの塊に塵や小さな岩石が混じったもの。太陽に近づくと太陽熱によって蒸発、ガスや塵が太陽風や太陽の放射圧によって太陽と反対方向にたなびき、尾を作る。彗星の核から放出された塵を採取して持ち帰る計画が米航空宇宙局(NASA)のスターダスト計画。99年に無人探査機スターダストが打ち上げられ、04年1月にビルト2彗星に接近して塵を採取。06年1月に地球に帰還し、サンプルは無事回収された。太陽系形成の過程や生命の起源に関する手がかりが得られるものと期待される。ハレー彗星は76年ごとに太陽に近づき、周期彗星と呼ばれる。特に周期200年以下のものは短周期彗星と呼ぶ。彗星の多くは放物線軌道に近く、極めて周期が長いか、太陽に近づいた後に太陽系のかなたに去る。ヤン・H・オールト(オランダ)は、太陽系外周部に太陽系形成期の物質が多数残っていて、それらが太陽に近づいて彗星になると考えた。そのような彗星の素の集まりを、オールトの雲と呼ぶ。彗星から放出された塵は軌道に沿って広がるので、その中を地球が横切ると、塵が地球に高速で飛び込んでくる。大気に飛び込んだ塵は、大気との摩擦熱で高温になり蒸発して輝く。これが流星。塵がたくさんあると、多くの流星が空の一点から放射状に流れる。これが流星群。8月のペルセウス座流星群、12月のふたご座流星群、01年11月に大出現したしし座流星群などが有名。

(土佐誠 東北大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

普及版 字通 「彗星」の読み・字形・画数・意味

【彗星】すいせい

ほうきぼし。〔左伝、昭二十六年〕齊に彗星り。齊侯之れを禳(はら)はしめんとす。晏子曰く、無きなり。~天の彗るは、以て穢を除かんとするなり。君に穢無くんば、何ぞ禳はん。

字通「彗」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

デジタル大辞泉プラス 「彗星」の解説

彗星

酒造好適米の品種のひとつ。空育酒170号。1996年に北海道立中央農業試験場で育成。2006年に品種登録された。初雫と吟風の交配種。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の彗星の言及

【キンギョ(金魚∥錦魚)】より

…したがってうろこの赤色部を人工的に抜いて脱色させる手術も行われている。このほかにキャリコcalico,コメットcomet(イラスト),ヤマガタキンギョ(山形金魚),ナンキン,ツガルニシキ(津軽錦),ヒロニシキ(弘錦)などがある。
[中国金魚]
 いわゆる〈中国金魚〉には日本在来の品種に近いものもあるが,ここでは著しい特徴をもつもののみを列挙するにとどめる。…

【天体命名法】より

…新しく発見された天体の名まえのつけ方。すい星,小惑星,衛星,変光星,新星でそれぞれの命名法が決まっている。
[すい星]
 新すい星は発見の通知が国際天文学連合(略称IAU)天文電報中央局に到着した順にその年号の後にa,b,c,……と続けて仮符号とし,発見者の名を3名まで連記して固有名とする。軌道が確定したのち,すい星を近日点通過の順にならべかえ,近日点通過の年号の後にI,II,III,……と続けて確定番号とする。…

※「彗星」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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