道徳哲学の用語。自己の存在および行為について、その善悪を感知し裁定する直覚的な働きをいう。
人間はその認識と行動によって世界のうちの多くのものとのかかわりのうちに置かれている。このかかわりが自己のものとして認知されるところに人間の自己がある。この自己認知の働きが自己に顕在化しているものが自己意識である。自己意識において意識されるのは、ただ自己が自己であるという空虚な自己の形式ではなく、自己のかかわる他のさまざまなものの意識であり、この他のさまざまなものへとかかわっているものとしての自己の意識である。しかし、これが自己の存在であり、自己の行為であるということが顕在的に意識されるときに、自己のうちにはこれを自己自身のものとして認めることを是認したり、拒否したりしようとする第二の自己の声がおこってくる。これが良心の声である。
それは〔1〕顕在的な自己意識を前提にしたうえで、平常は意識されない自己の深層からおこる声であり、〔2〕自己自身の善悪にかかわり、これを裁定する声であるという特徴をもつ。自らなした行為が自己自身のものであることを拒みがたいということ、また、その自己のなした行為が悪いものであるとき、これを自己のものとして認めることを是認しがたいという二つのことによって、自己のなした悪なる行為において良心の声はもっとも先鋭に意識される(良心の呵責(かしゃく))。それゆえ、良心とは表層的な自己にはかならずしも意識されていない深層における自己の、善への本性的なかかわりの意識であり、直覚である。それは深層において自己を形成する自己の核であり、自己を人格として形成する。人間が本性上、善にかかわるものであり、道徳意識をもっていることの事実は良心において与えられている。良心を失うとき、人間は自己の内面を失い、表層だけの抜け殻となる。
しかし、良心は社会的に形成されるものでもあり、社会的な道徳意識としての事実性をもつ(社会は国、集団、家などさまざまでありうる)。それゆえ、良心による善悪の裁定が不可謬(ふかびゅう)であるとはいえない。美醜、正不正、善悪に関する理性的な反省がこれに加わるとき、主観的な道徳意識としての良心は普遍的な道徳性へと形成される。
人間の道徳意識の事実は良心にもっとも如実に表出されている。良心のもつ根源性、個人性、社会性という面のどれを強調するかによって道徳哲学の原理的な構成は微妙にずれてくる。
[加藤信朗]
明治初年以降,《孟子》告子章上の〈良心〉(人間に固有の善心)が,一種の道徳意識としてのコンシャンスconscience(英語,フランス語),ゲウィッセンGewissen(ドイツ語)の訳語として定着するにいたった。近代哲学の中核語はルネサンス期に形成された意識(コンスキエンティアconscientia,その原義は〈共に知ること〉)という術語である。この語はおそらくストア学派のシュネイデシスsyneidēsisという術語に由来する。その接頭辞synには,人間の精神に付随してそれを規整するある高次の精神的法廷という意義が含まれている。この含意は,近代哲学において,対象意識と自己意識という意識の両方向の根源的統一を一種の道徳意識としての良心に求める考え方として展開されるが,この良心という統一的意識は実は(行為の統一として実現されるべき)人格の統一の現象形態であった。良心としてのsyneidēsisという語の最古の用例はデモクリトスに見いだされるが,ストア学派以外で近代的良心概念にとってとくに重要なのは新約聖書,とくにパウロ書簡における用例であり,それは神のことばに対する恐れの内面化と解されうる。これはルター,カルバンを経て,とりわけ近代イギリスにおけるモラル・センスmoral senseの理論(すなわち公平な内的傍観者の理論)やカントにおける内的法廷としての良心の概念というかたちで,近代的な人格の〈自律〉という思想のうちに継承され,さらにはハイデッガーの実存思想における良心の呼び声という概念のうちにも生き続けている。良心は広義には道徳意識の根源的統一を表示する概念ではあるが,罪責感や悔恨の意識を生じさせる内からの〈呼び声〉が良心の最も本来的な現象である。だが,この呼び声がはたらくためには,道徳的に正しいものと自主的に判定されたか,あるいは教え込まれた行為の基準が先行していなくてはならず,したがって呼び声としての良心は,道徳意識の根源的現象の一つではあっても,それ自身道徳の原理たりうるものではない。
→道徳
執筆者:吉沢 伝三郎
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…孟子は性善説を唱え,荀子は性悪説を唱えたが,この二つの説は理論的には矛盾しない。孟子の考えるところでは,人間の本性には良心と放心という二つの傾向がある。良心は他者と心情的に共感し,善へ向かおうとする心理傾向であり,放心は外界の事物に動かされて欲望を追求する心理傾向である。…
…cumは一般に共同的な含意を作る語であるから,con‐sciusは,(1)ある知識をだれかと共有したり,共犯関係にあること,あるいは(2)ある行為や思考,感情などに,それについての知,すなわち自己意識が伴っていることを意味していた。(3)その際,その自己意識が欺瞞を含まない限り,それは〈良心conscientia〉と呼ばれてよいであろう。スコラ哲学では,この用法がしだいに重きをなしていったと言われている。…
…道徳は,人間存在が個人的にして同時に共同的な存在であるかぎりにおいて,宗教や法や経済などと密接に関連しながらもその純粋形態においてはそれらから区別されるべき,一つの根源的現象である。個々の人間は,とりわけ良心の責めという現象において,おのれ自身の行為や人格の善悪の区別を体験する。あらゆる諸民族の文化生活において,道徳的命法,行為規範,道徳的価値規準などが存在し,それらにしたがって,ある種の行為は称賛すべきものとして是認され,あるいは義務として命じられ,他の種の行為は非難すべきものとして否認され禁止される,ないしは,人間自身とその態度や言動が端的に善あるいは悪として評価される。…
※「良心」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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