日本歴史地名大系 「山城国府跡」の解説 山城国府跡やましろこくふあと 京都府:相楽郡山城町上狛村山城国府跡上狛(かみこま)の大里(おおざと)・新在家(しんざいけ)集落の大半を含む南北八町、東西八町の範囲が、のちに山城北部の葛野(かどの)郡に移転するまでの山城国府跡と想定されている。「律書残篇」に「山代国、郡八、郷九十、里百八十四、去京行程半日、守、介、大少目、五位以下六位以上也」とみえ、天平年間(七二九―七四九)には山城国府が平城京より半日の行程にあたる南山城にあったことをうかがわせる。当地中央を南北に貫く奈良街道は、東側に東作(ひがしつく)り道(みち)、西側に西作り道の小字名が残り、その延長線上に古代の泉(いずみ)橋がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by