上狛村(読み)かみこまむら

日本歴史地名大系 「上狛村」の解説

上狛村
かみこまむら

[現在地名]山城町大字上狛

西流してきた木津きづ川が北に流れを変える付近の右岸にあり、木津川河岸段丘微高地に位置する。北ははやし村。集落中央を奈良街道が、西を大和街道が南北に通る。通称南部なんぶ(新在家集落)北部ほくぶ(大里集落)よりなる。

狛の名は奈良―平安時代に「高麗里」「狛」「狛野」などとみえ、上狛の地名は建暦三年(一二一三)一二月一五日付の僧王得田地売券案(東大寺文書)に「上狛野郷」とあるのが初見で、建保五年(一二一七)正月二六日付の同売券案には「上狛郷」と記す。古代は大狛おおこま(和名抄)の南半部にあたる。中世狛野こまの庄の南庄の中心集落として推移した。室町期には狛野庄をさして「上狛野」「上狛庄」「上狛」「上津狛」の呼び名が「大乗院寺社雑事記」「多聞院日記」および地方文書にみえる。

元禄一三年(一七〇〇)山城国郷帳では上狛村の枝郷として新在家しんざいけ村が別に高付され、天保郷帳には上狛村一村として高付されるが、「古ハ上狛村新在家村弐ケ村」とある。また江戸中期から幕末にかけての村文書・絵図には、北の林村を含め「上狛村之内林村 上狛村の内新在家村」などと記し、中世の狛野庄の南庄地域を総称して上狛村となっていた。

この上狛村は南から新在家村・野日代のびたい村・東法華ひがしほうけ(花)(小仲小路・城垣内)・西法華(花)野村(磯垣内・殿前・御堂垣内・角垣内)と林村の五小村に分れ狛八村に含まれるが、林村は山城国郷帳や天保郷帳などでは別に高付される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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