山本幸一(読み)ヤマモト コウイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山本幸一」の解説

山本 幸一
ヤマモト コウイチ


肩書
元・衆院議員(社会党)

生年月日
明治43年2月20日

出生地
岐阜県山県郡美山町

学歴
浅草工業専修中退

経歴
昭和3年労農党入党。日農執行委員、総同盟連会長などを経て、22年社会党から衆院議員、当選12回。党国体委員長、党副委員長、党書記長歴任。58年末の総選挙で引退、全国中小商工業団体連合会会長、のち名誉会長。岐阜の小学校を卒業後上京、無産運動に飛び込み、検挙されること20回以上。治安警察で拷問をうけたが、59年勲一等旭日大綬章を受章自伝「山幸風雲録」がある。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和59年〕

没年月日
平成8年2月17日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「山本幸一」の解説

山本 幸一
ヤマモト コウイチ

昭和期の政治家 元・衆院議員(社会党)。



生年
明治43(1910)年2月20日

没年
平成8(1996)年2月17日

出生地
岐阜県山県郡美山町

学歴〔年〕
浅草工業専修中退

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和59年〕

経歴
昭和3年労農党入党。日農執行委員、総同盟連会長などを経て、22年社会党から衆院議員、当選12回。党国体委員長、党副委員長、党書記長を歴任。58年末の総選挙で引退、全国中小商工業団体連合会会長、のち名誉会長。岐阜の小学校を卒業後上京、無産運動に飛び込み、検挙されること20回以上。治安警察で拷問をうけたが、59年勲一等旭日大綬章を受章。自伝「山幸風雲録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本幸一」の解説

山本幸一 やまもと-こういち

1910-1996 昭和時代の労働運動家,政治家。
明治43年2月20日生まれ。農民・労働運動にたずさわり,昭和20年社会党の創立にくわわる。22年衆議院議員(当選12回)。党の国対委員長,副委員長,書記長をつとめ,のち左派から右派に転じた。平成8年2月17日死去。85歳。岐阜県出身。浅草工業専修学校中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山本幸一」の解説

山本 幸一 (やまもと こういち)

生年月日:1910年2月20日
昭和時代の労働運動家;政治家。衆院議員
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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