朝日日本歴史人物事典 「山本徳翁」の解説
山本徳翁
生年:文化8(1811)
江戸末期の江戸の茶商。屋号山本山。従来の煎茶を改良した玉露系の新製品を最初に発売した。同茶舗の始祖は元禄8(1695)年,山城国綴喜郡山本村(京都府田辺町)から江戸日本橋に出て店を構え,代々嘉兵衛を襲名。徳翁は6代目嘉兵衛に当たる。天保6(1835)年,商用で山城国宇治郷を訪れ,小倉村の製茶業者木下吉左衛門の宅に逗留,その碾茶(揉まずに乾燥する茶)の作業場でたわむれに自ら焙炉の上で蒸葉を手揉みし,たまたま小球状の上質の煎茶を精選し得たという。彼はこれを「玉の露」の銘で販売,世の好評を博した。「玉の露」はのちに宇治の製茶業者辻利右衛門の手で,明治初年ごろに玉露として完成された。<参考文献>大林雄也『大日本産業事蹟』(平凡社『東洋文庫』)
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報