20世紀日本人名事典 「山本松谷」の解説 山本 松谷ヤマモト ショウコク 昭和期の画家 生年明治3年11月9日(1870年) 没年昭和40(1965)年5月10日 出生地高知県長岡郡後免町(現・南国市) 本名山本 茂三郎(ヤマモト モサブロウ) 別名別号=山本 昇雲(ヤマモト ショウウン) 経歴6歳の頃から絵の修業を始め、明治19年大阪の陶器輸出商の絵付住込職人となる。21年上京、滝和亭に学び、27年東陽堂の絵画部員となって「風俗画報」の口絵や「新撰東京名所図絵」を描くなど、20年間に1300点の表紙・口絵・挿画を描いた。その後文展に「屠蘇(とそ)」「享保の頃」、帝展に「当り狂言楽屋振舞の図」「赤い鳥」などを出品。数多くの緻密な風俗画を遺した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本松谷」の解説 山本松谷 やまもと-しょうこく 1870-1965 明治-大正時代の画家。明治3年11月9日生まれ。東京へでて滝和亭(たき-かてい)にまなぶ。明治27年グラフ誌「風俗画報」の絵画部員となり,20年間に表紙,口絵,挿画など1300点をえがき,報道画家として名を知られる。日本画「野路の雨」「富岳」などの作品もある。昭和40年5月10日死去。94歳。高知県出身。名は茂三郎。別号に昇雲,小斎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by