改訂新版 世界大百科事典 「山田三方」の意味・わかりやすい解説
山田三方 (やまだのみかた)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…この間31年山田は外宮から,度会,多気,飯野の神三郡の所務知行権の3分の1を賦与され,自治都市へと成長していく。 49年(宝徳1)山田が宇治への参道を塞いだことにより,宇治と対立したが,翌50年の和談の場には〈山田三方〉から長3人が代表として出席しており,〈三方〉の原型がこのころ形成されたことが知られる。この三方とは岩淵方,須原(すはら)方,坂方をいい,15世紀中葉には単独で行動する場合が多かったが,文明年間(1469‐87)には〈三方老分〉として,結束して知行地の支配,座の統制,神宮との交渉,警察司法などに〈公界沙汰〉としてあたった。…
※「山田三方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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