山田六左衛門(読み)ヤマダ ロクザエモン

20世紀日本人名事典 「山田六左衛門」の解説

山田 六左衛門
ヤマダ ロクザエモン

昭和期の労働運動家 元・日本共産党中央委員。



生年
明治43(1910)年2月28日

没年
昭和53(1978)年3月24日

出生地
鹿児島県熊毛郡南種子村字平山(種子島)

学歴〔年〕
早稲田高等学院政経科中退

経歴
農民文学やプロレタリア文学に傾倒して学校を中退。大正15年大阪に移り、昭和2年寺田紡績に就職するが、日本労働組合評議会加盟、同年10月解雇され、翼下の紡績労組常任オルグとなった。労働農民党第2回大会に大阪代表で参加、3年日本共産党入党。同年の3.15事件で検挙され、6年日本労働組合全国協議会(全協)大阪支部協議会責任者となり、7年の全協中央委員会第2グループ副議長を務めて検挙された。8年全協中央委員、9年にも検挙された。戦後21年日本共産党に再入党、24年党和歌山県委員長、25年の分裂時に関西国際派の全国統一委員会関西地方委員会議長となり、主流派に除名された。30年の六全協後、関西地方委員会に復帰し、33年第7回党大会で中央委員となった。36年第8回大会では綱領批判の立場で春日庄次郎らと離党、社会主義革新運動準備会(社革)に参加、副議長となった。37年春日らと社革を離れ統一社会主義同盟を結成した。43年日ソ親善大阪協会常任理事。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田六左衛門」の解説

山田六左衛門 やまだ-ろくざえもん

1901-1978 昭和時代の社会運動家。
明治34年2月8日生まれ。日本労働組合評議会で活動し,昭和3年共産党に入党。8年検挙され15年出獄。戦後は党の中央委員,大阪府委員長などをつとめる。36年春日庄次郎らとともに離党,翌年統一社会主義同盟を結成した。昭和53年3月24日死去。77歳。鹿児島県出身。早稲田高等学院中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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