朝日日本歴史人物事典 「山田図南」の解説
山田図南
生年:寛延2(1749)
江戸中期の医者,考証家。名は正珍,字は宗俊。江戸生まれ。祖父菅原正朝は将軍徳川吉宗によって医官から儒官にあげられた人である。父正煕の代に医官に戻ったが,その家は蔵書家として知られていた。儒学を山本北山,医学を加藤筑水,本草を田村藍水に学び,後藤艮山に和淑しながら『傷寒論』の復古考証的研究に精力を注ぎ,中西深斎と並び称された。16歳のときに朝鮮通信使と応答して賛嘆されたというその才は,『傷寒考』『傷寒論集成』(未完のうちに没,のちに太田錦城らが補完),『傷寒検証』『天命弁』『新論』などの著作として,今に遺されている。生年を享保16(1731)年とする説もある。<参考文献>松田邦夫「『近世漢方医学書集成』74巻解説」
(石田秀実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報