山田図南(読み)やまだ・となん

朝日日本歴史人物事典 「山田図南」の解説

山田図南

没年:天明7.2.8(1787.3.27)
生年寛延2(1749)
江戸中期の医者,考証家。名は正珍,字は宗俊。江戸生まれ。祖父菅原正朝は将軍徳川吉宗によって医官から儒官にあげられた人である。父正煕の代に医官に戻ったが,その家は蔵書家として知られていた。儒学山本北山,医学を加藤筑水,本草を田村藍水に学び,後藤艮山に和淑しながら『傷寒論』の復古考証的研究に精力を注ぎ,中西深斎と並び称された。16歳のときに朝鮮通信使と応答して賛嘆されたというその才は,『傷寒考』『傷寒論集成』(未完のうちに没,のちに太田錦城らが補完),『傷寒検証』『天命弁』『新論』などの著作として,今に遺されている。生年を享保16(1731)年とする説もある。<参考文献>松田邦夫「『近世漢方医学書集成』74巻解説」

(石田秀実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田図南」の解説

山田図南 やまだ-となん

1749-1787 江戸時代中期の医師。
寛延2年生まれ。山田麟嶼(りんしょ)の孫。幕府医官。儒学を山本北山,医学を加藤筑水(ちくすい),本草学を田村藍水(らんすい)にまなぶ。後漢の古医書「傷寒論」を研究し,「傷寒論集成」をあらわした。天明7年2月8日死去。39歳。江戸出身。名は正珍(まさたま)。字(あざな)は玄同。通称は宗俊。著作に「天命弁」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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