山田潤二(読み)ヤマダ ジュンジ

20世紀日本人名事典 「山田潤二」の解説

山田 潤二
ヤマダ ジュンジ

昭和期の新聞経営者 毎日新聞専務;毎日球団社長。



生年
明治18(1885)年3月12日

没年
昭和36(1961)年12月2日

出生地
岐阜県海津郡高須町

旧姓(旧名)
三溝

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔明治44年〕卒,東京帝大独法科〔大正11年〕卒

経歴
明治44年満鉄に入社、再び東大に学び大正11年大阪毎日新社に入社。論説委員、取締役、東京日日新聞(現毎日新聞)営業局長、監査役常務を経て、昭和17年専務西部本社代表となった。19年同社経営のマニラ新聞社長、終戦と同時に退社郷里に帰った。28年毎日球団社長。一高時代名1塁手、3番打者で活躍。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田潤二」の解説

山田潤二 やまだ-じゅんじ

1885-1961 昭和時代の新聞経営者。
明治18年3月12日生まれ。満鉄勤務をへて,大正11年大阪毎日新聞(現毎日新聞)に入社。論説委員,東京日日新聞の営業局長,専務・西部本社代表をつとめ,昭和18年同社経営のマニラ新聞担当となる。28年プロ野球毎日球団社長。昭和36年12月2日死去。76歳。岐阜県出身。東京帝大卒。旧姓は三溝。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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