日本歴史地名大系 「山穂苅村」の解説
山穂苅村
やまほかりむら
[現在地名]信州新町山穂刈
天正一〇年(一五八二)の香坂能登守あての上杉景勝の宛行状(別本歴代古案)に「ほかり」とあり、村名の初見は、慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に、「百四拾壱石壱斗三升 山穂刈村」とある。元禄の松城領高辻帳の添目録に山穂苅村の枝村として、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天正一〇年(一五八二)の香坂能登守あての上杉景勝の宛行状(別本歴代古案)に「ほかり」とあり、村名の初見は、慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に、「百四拾壱石壱斗三升 山穂刈村」とある。元禄の松城領高辻帳の添目録に山穂苅村の枝村として、
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