山門庄(読み)やまとのしよう

日本歴史地名大系 「山門庄」の解説

山門庄
やまとのしよう

現下山門・上山門・石丸いしまる拾六町じゆうろくちよう福重ふくしげ付近に比定される庄園。戦国時代末期の史料によれば、規模は三五〇町とされている(元亀四年八月一九日「大友氏年寄連署奉書」行弘文書/大日本史料一〇―一七)。観応三年(一三五二)五月日の平藤家・散位氏香連署寄進状案(青木文書/南北朝遺文(九州編)三)に「山門庄」とみえ、庄内野中の田二反が生松原いきのまつばら権現(現壱岐神社)に寄進されている。建徳三年(一三七二)には武藤平井又次郎孫七がもっていた山門庄領家職が征西将軍宮護良親王から肥後阿蘇社(現熊本県一の宮町)に毎月大般若経転読料所として寄進され(同年三月二四日「征西将軍宮令旨写」阿蘇家文書/南北朝遺文(九州編)五)、さらに応永一一年(一四〇四)には肥後国石築地料所である当庄(地頭職か)が阿蘇大宮司惟村に預けられている(同年一一月六日「渋川満頼預ケ状写」同文書/大日本古文書一三―二)。だが以後阿蘇社領としては史料上にはみえない。永享四年(一四三二)には庄内曲田まがりた名が御手洗又三郎に(同年四月二三日「宗貞盛宛行状」三根郷給人寺社足軽百姓代々判物写/長崎県史 史料編一)、また現作一町を除いた弥三郎やさぶろう名が島山次郎にそれぞれ給分として与えられている(同年四月二二日「宗貞盛宛行状」馬廻判物帳/長崎県史 史料編一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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