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千代女 ちよじょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

千代女
ちよじょ

[生]元禄16(1703).加賀
[没]安永4(1775).9.8. 加賀
江戸時代中期の俳人。別号,素園。 51歳頃剃髪して千代尼と呼ばれた。加賀の松任 (まっとう) の表具屋福増屋六左衛門 (一説に六兵衛) の娘。半睡,支考,廬元坊らの教えを受けた。通説では 18歳の頃,金沢藩の足軽福岡弥八に嫁し1子をもうけ,夫や子に死別して松任に帰ったというが,結婚しなかったという説もある。有名な「渋かろか知らねど柿の初ちぎり」「起きて見つ寝て見つ蚊屋の広さかな」「蜻蛉釣り今日はどこまで行ったやら」の句も千代女作といわれるが確証はない。編著『千代尼句集』 (1764) ,『松の声』 (71) 。

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百科事典マイペディアの解説

千代女【ちよじょ】

江戸中期の俳人。千代,千代尼,素園,また加賀(かがの)千代とも。加賀松任の人。表具屋の娘として生まれ,17歳のとき,北越行脚(あんぎゃ)中の支考にその才を認められ,諸国に知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちよじょ【千代女】

1703‐75(元禄16‐安永4)
江戸中期の俳人。加賀国松任の人。父は表具屋福増屋六兵衛。12歳のころ奉公した本吉の北潟屋主人岸弥左衛門(俳号半睡,のち大睡)に俳諧を学び,16歳のころすでに地方の女流俳人として名を成したが,17歳のとき支考に見いだされてからはいっそう有名になった。一説によると18歳で金沢の足軽に嫁ぎ,子どもを1人なしたが,25歳のとき夫に先立たれ,次いで子どもも死んだので実家にもどったという。1753年(宝暦3)剃髪して尼となり,素園と号した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千代女
ちよじょ
(1703―1775)

江戸中期の俳人。一般に加賀の千代、また千代尼ともよばれる。加賀国(石川県)松任(まっとう)(白山(はくさん)市)の表具屋の女(むすめ)。通説によると、18歳のとき金沢藩の足軽福岡家に嫁し、一男をあげたが、まもなく夫に死別、子も早世して松任に帰ったと伝えられるが、文献的にはむしろ未婚であったことを証するものが多い。早熟で、16、7歳のころから俳諧(はいかい)の才が近国に評判となり、美濃(みの)派の支考、伊勢(いせ)派の乙由(おつゆう)らにも認められて、当時としては珍しい女流俳人として名声をほしいままにした。剃髪(ていはつ)は51歳のころで、以後素園と号している。作風は概して通俗的であり、とくに気のきいた理知の働きを含んだ風調が、当時世の人々に喜ばれた。句集に『千代尼句集』『松の声』。墓所は不明である。[堀切 實]
 朝顔に釣瓶(つるべ)とられてもらひ水
『中本恕堂編『加賀の千代全集』全1巻(1958・同書刊行会) ▽中本恕堂著『加賀の千代研究』(1972・北国出版社)』

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世界大百科事典内の千代女の言及

【松任[市]】より

…市域中央部を北陸本線,国道8号線が並走し,海岸沿いに北陸自動車道が通じ,美川インターチェンジが近い。なお俳人千代女の出身地で,中町の聖興(しようこう)寺には千代尼塚や千代尼遺芳館がある。【斎藤 晃吉】。…

※「千代女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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