日本大百科全書(ニッポニカ) 「山靼交易」の意味・わかりやすい解説
山靼交易
さんたんこうえき
黒竜江下流地方(山靼地)と樺太(からふと)(サハリン)との間で行われた交易。山靼は、山丹、山旦、三靼などとも書く。平安時代末にはこのルートで入ってきた中国製の絹織物が「蝦夷錦(えぞにしき)」の名で京都の貴族の間で珍重されていたという。鎖国下の江戸時代においても、幕府は松前(まつまえ)藩に蝦夷地のアイヌとの交易を許したので、装身用の玉、中国製の衣服や布地などが山靼交易によってわが国にもたらされた。山靼地の住民が樺太に渡来しただけではなく、樺太のアイヌやウイルタも毛皮類などを持参して海峡を越え、黒竜江をさかのぼって清(しん)国政府の出先であるデレンの仮府にまで至っている。この交易で樺太アイヌに多大の負債が生じたので、1809年(文化6)から古債の返却と交易価格の是正のため幕府が直接介入し、幕吏立会いのもとに交易が行われた。山靼交易は鎖国下の特殊な交易として幕末まで続いた。
[小林真人]