翻訳|Sakhalin
ロシア連邦の東端,北海道の北方に位置し,北緯45°54′から54°20′まで948kmにわたり南北に細長くのびる島。旧日本名は樺太。古くは唐太とも書き,北蝦夷地とも呼ばれた。北海道とは宗谷海峡(幅43km)によって,またアジア大陸とはタタール(間宮)海峡(最狭部は幅7.3km)によって隔てられる。北緯50°以南の南サハリンは1945年まで日本領であったが,第2次大戦後ソ連に併合され,現在はサハリン全島が千島列島とともにロシア連邦サハリン州を構成している。面積は7万6400km2で北海道よりわずかに小さく,人口は千島列島を含めて95万(2006)。行政中心地はユジノ・サハリンスク(旧,豊原)である。
標高1000m前後の東サハリン山脈と西サハリン山脈が南北に連なり,主としてなだらかな山地であるが,北部には北サハリン低地がひろがり,中部のティミ川,ポロナイ川流域および南部のススヤ川,ナイブチ川,ルータカ川流域には平野も発達している。海岸線は概して単調で天然の良港に乏しく,また地盤の隆起運動による海岸段丘の発達が顕著である。東岸には多数の汽水湖もみられる。
気候は亜寒帯に属し,シベリア大陸からの季節風やオホーツク海の寒流の影響を受けて,同緯度の他地方と比べると著しく寒冷である。しかし対馬暖流に洗われる南西沿岸はやや温和で,トマリ(泊居(とまりおろ))以南の海港は冬季も結氷しない。その他の地方の海岸は12月から4月ころまで結氷し,大陸のアムール河口付近では,この島との間の氷上交通が可能となる。1月および8月の平均気温は,北部のオハで-19.9℃と14.0℃(年平均-2.4℃),中部のポロナイスク(敷香(しくか)/(しすか))では-17.7℃と15.8℃(年平均0℃),南部のユジノ・サハリンスクで-13.8℃と17.3℃(年平均2.1℃)である。年降水量は少なく,北部で500~600mm,南部で700~800mmにすぎないが,夏季は季節風と海流の関係で湿度が高く,霧の発生が多い。
サハリンの植物相はシベリアから連続する針葉樹林帯(タイガ)である。長年にわたる伐採,虫害,火災にもかかわらず,現在でも全島の半ば約4万3000km2が森林におおわれている。約200種の樹種のうち,もっとも多いのはエゾマツ,トドマツで,これらは多く純林として自生している。ただ北部ではカラマツやシラカバの疎林がふつうであり,南西部ではカエデ,ナナカマド,ハンノキなどの広葉樹が針葉樹と混生している。ポロナイ川流域の泥炭地は,そこに生育するハナゴケ,ミズゴケ,スギゴケなどの地衣・蘚苔類が枯死・堆積してできたものである。
動物相にもタイガの特徴がみられ,哺乳類ではクマ,キツネ,アナグマ,テン,リス,シマリス,トナカイ,ジャコウジカなどが生息する。サハリン近海にはトド,アザラシ,オットセイなどの海獣があらわれ,またサケ,マス,タラ,カレイ,タラバガニなどの漁場としても有名で,かつてはニシン漁の本場でもあった。
この島の本来の住民は北部ではニブヒ(ギリヤーク)とウイルタ(オロッコ),南部ではアイヌであった。サハリン島は早くから大陸との関係が深く,山丹人が来島して中国の産物をもたらしていたが,やがてこの島の住民たち自身もアムール川下流の清国の仮府に朝貢交易に赴くようになった。18世紀中葉以降はアイヌの有力者たちも満州仮府からハラタ(部族長),カーシンタ(郷長)の称号を与えられていたことが知られている。日本では松前藩がすでに1635年(寛永12)家臣をこの島に派遣し,44年(正保1)と1700年(元禄13)には,この島を自藩の領域とみなした御国絵図と郷帳を幕府に提出しているが,その南端部分に常設的な漁場を開いたのは18世紀末のことである。それ以来,漁場の労働力として雇用されたアイヌたちの日本人への経済的従属が進んだ。
北辺防備問題が騒がしくなると,幕府も1785年(天明5)山口鉄五郎らを蝦夷地(北海道)に派遣する。その中の西蝦夷地担当の庵原弥六が同年,幕吏として初めてサハリンに足跡を印した。それ以降,幕府はひきつづき最上徳内(1792),中村小市郎と高橋次太夫(1801)を派遣して,この地の踏査を行わせ,1807年(文化4)以降は,蝦夷地とともに,サハリン南部をも幕府の直接支配の下においた。そのころから松前藩士や幕吏たちによるこの島の多くの調査記録がまとめられ,かなり正確な地図も作成されている。間宮林蔵が満州仮府デレンを訪れたのも09年のことである。
一方,ロシア人も17世紀中葉のアムール川下流域遠征の際に,この島へ到来したことは確かだと思われる。しかしまもなく清国によってこの地方から排除され,また1689年のネルチンスク条約以降はキャフタにおける中国貿易の中止を恐れて,ロシアはアムール河口やサハリンへの接近を慎重に避けていた。1806-07年露米会社の船がサハリン南端の日本漁場を襲撃する事件が起こったが,ロシアがこの島の占領に着手したのは19世紀中葉のことである。海軍士官ネベリスコイG.I.Nevel'skoiらによって外洋を航海する船もアムール河口に出入りできることが確認され,またサハリン北部において良質で豊富な石炭層が発見されたことにより,この島の戦略的・経済的重要性が著しく高まり,53年(嘉永6)ロシア政府は露米会社にその占領を命じた。同年長崎に来航したロシア使節プチャーチンも,幕府にサハリンおよび千島の国境画定を要望し,その結果55年2月7日(安政1年12月21日)の〈日露和親条約〉ではサハリンは両国の間で〈界を分たず〉と規定された。幕府は1821年以来松前藩領に復していたこの島を,55年に再び直轄して漁場を北緯49°付近まで拡大し,またロシア側は少数の兵士を北緯48°のイリインスキー(久春内(くしゆんない))地峡に定住させるなど,日露両国のサハリン進出が積極化した。とくに67年(慶応3)の〈樺太島仮規則〉以後は,ロシアは1個大隊の兵力を派遣し,日本側も多数の農工民を送ったので,南サハリン全域で日露両国人の雑居が行われ,紛争が絶えなかった。その後,75年の〈樺太・千島交換条約〉でロシアはサハリン全島を獲得し,アレクサンドロフスク・サハリンスキーに行政庁を置いて1906年までこの島を流刑植民地としていたが,囚人労働による石炭採掘を除けば,産業の発達はまったくみられなかった。
1905年,日露戦争の結果として北緯50°以南が日本に割譲された。日本は豊原に樺太庁をおいて南サハリンの開発に着手した。主要な産業は漁業,林業,製紙・パルプ工業,石炭鉱業であった。移民は主として北海道,東北,北陸から行われ,41年末の人口は40万をこえていた。このころから強制徴用による朝鮮半島からの労働者が急増し,終戦時の朝鮮人人口は約4万と推定されている。この間ロシア革命期の1920年,日本は尼港(にこう)事件を理由に北サハリンを保障占領したのち,25年の〈日ソ基本条約〉によってこの地方の石油・石炭採掘に対する45年間の利権を獲得し,北樺太石油会社と北樺太鉱業会社を設立して現地での生産にあたった。45年ソ連の対日参戦で南サハリンは再びソ連に併合され,その後の発展は著しいが,主要都市および産業もほとんどが日本時代のままに引き継がれている。
サハリン州の人口密度は1km2当り7.8人で,これはロシア極東地方平均の2.0人と比べるとかなり高い。しかも人口の過半は全州面積の1/5に満たぬサハリン島南端地方に居住し,82%が都市部に集中している。住民の大部分は第2次大戦後にソ連本土から移住したもので,民族の構成も多様である。そのうちおもなものはロシア人81.6%,ウクライナ人6.5%,朝鮮人4.9%,ベラルーシ人1.6%,タタール人1.5%,モルドバ人0.8%である(1989)。ニブヒ,ウイルタなどの原住民族は約3000といわれ,そのうちニブヒが過半を占めている。かつてサハリンの主要民族であったアイヌ系住民(1935年当時約2000)は,戦後どれほどが北海道に移り,また現地にとどまったかは不明である。また,サハリン朝鮮人は約3万5000人(1989)に及ぶが,1945年の日本敗戦のとき,約30万人の日本人がほぼ全員引き揚げるなかで置き去りにされた人々が大半である。故国の韓国訪問が1988年のソウル・オリンピック以降可能になったが,90年からは日本政府も予算を計上し,日韓赤十字社の協力のもと,故郷訪問や永住帰国がようやく実現された。
サハリン州の主要な産業には漁業,林業,パルプ・製紙工業のほか,石炭,石油,天然ガスなどのエネルギー資源鉱業がある。1974年の生産高は,ロシア極東地方全体の約12%であった。このうち漁業は州の総生産額の38%を占め,ネベリスク(本斗),ホルムスク(真岡),チェーホフ(野田),トマリ,コルサコフ(大泊)などの漁業コルホーズによって,トロール船団の遠洋漁業も行われている。これらの漁港には水産加工のコンビナートも建設され,魚類缶詰,冷凍魚,魚介類製品,海草食品などをロシア本国や国外に移・輸出している。また20ヵ所のサケ・マス孵化場では,毎年8億匹の稚魚を放流する。豊富な森林資源は製材,木材加工のほかに,主としてパルプ・製紙工業の原料として利用されている。日本領時代と同様にポロナイスク,ウグレゴルスク(恵須取(えすとる)),ドリンスク(落合),ホルムスク,マカロフ(知取(しるとる))などに製紙工場があり,77年には34万tのパルプ,23万tの紙を生産した。
石炭は西岸および南部一帯の第三紀層中に190億tの埋蔵が確認され,その質の良さと採掘の容易なことでも知られている。主要な産地はアレクサンドロフスク・サハリンスキー,ウグレゴルスク,ドリンスク,マカロフなどで,1974年には530万tを産出し,その1/5がロシア極東および外国に送り出された。石油および天然ガスはオハからカタングリに至る北東沿岸に産出するが,77年から日本との共同事業として北東部の大陸棚での探鉱がすすめられ,すでにチャイウォ,オドプト地区で有望な鉱区が発見された。サハリンの石油はロシア極東の産業発展に大きな役割を果たしており,原油はパイプラインによって大陸の産業地帯に送られる。現在は北東岸からポギビ岬を経由する第2のパイプラインも建設中である。とりわけ1990年代に入って,北部東海岸大陸棚の石油・天然ガス開発の国際的プロジェクト(ロシア,日本,アメリカなど)が注目されている。その他の産業としては船舶・機械修理,建築材料,食品加工,軽工業がある。農業は気象条件および土壌不良のためジャガイモ,キャベツ,ビート類を自給するにとどまっている。最近では野菜の温室栽培も始められた。農業生産の主要な分野は畜産と酪農で,75年現在6万7000頭の牛,10万頭の豚,1万4000頭のトナカイ,160万羽の鶏を飼育し,肉,乳製品,卵の完全自給を目ざしている。ミンク,キツネ,テンなどの毛皮獣の飼育も行われている。
内陸の輸送は道路の不備のため鉄道が主であるが,鉄道網は南部に集中し,その多くは日本時代のものである。71年イリインスキー地峡の横断鉄道が建設されたほか,北部鉄道の延長工事によりコルサコフから北端のモスカリボに至る縦貫鉄道線の完成も間近である。73年には西岸のホルムスクと,ソビエツカヤ・ガバニ北方のワニノとを結ぶ鉄道フェリーが就航,大陸との貨物輸送が容易になった。
おもな教育機関としては2200人の学生を有するユジノ・サハリンスク教育大学のほか,鉱山学校など15の技術・職業学校がある。研究機関もロシア科学アカデミーのサハリン総合科学研究所,太平洋水産・海洋学研究所,農業試験場,林業試験場が設けられている。サハリン州には315の公共図書館のほか多くの文化施設があるが,州立郷土研究博物館は樺太庁博物館を引き継いだものである。新聞は《ソビエツキー・サハリン》(1925創刊)のほか,朝鮮語の《レーニンの道》(1949創刊)も発行されている。
執筆者:秋月 俊幸
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日本では樺太(からふと)という。先住民は清国に朝貢して,交易関係を持っていた。18世紀末から19世紀初めに日本とロシアが進出した。1875年の樺太‐千島交換条約で,サハリンは北クリル諸島との交換でロシア領となったが,ロシア帝国はここを監獄として使った。日露戦争の際,日本は全島を占領し,その領有を求めたが,ポーツマス条約で,南半部のみ割譲された。第二次世界大戦のさなか,ソ連は対日参戦の代償として,ヤルタ協定で南半部を取り戻すことを米英に認められ,戦闘を通じて,占領し,46年併合した。日本はサンフランシスコ講和条約で,権利を放棄した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
北海道の北に、南北に長く連なる大島、樺太(からふと)のロシア名。もともとは満州語の「サガリェン・アンガ・ハタ」(「黒い川の河口の峰」の意)からきている。「黒い川」とは黒竜江(アムール川)をさす。
[編集部]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ロシア連邦,サハリン島(樺太)北西岸の海港。人口8500(1991)。…
…同年8月22日批准,11月10日布告。明治政府が旧幕府からひきついだ北方領土の状況は,安政1年12月21日(1855年2月7日)調印の日露和親条約以来,樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままであり,千島(クリル)列島は択捉(えとろふ)島,ウルップ島の間を日露の境界とし,その以北をロシア領としてきた。イギリス公使パークスは日本の樺太放任はロシア領化を招くと警告し,ロシアに売却するか代地と交換するのを良策とし,むしろ北海道開拓に専念するよう忠告した。…
…南樺太を管轄した日本の植民地行政官庁。1905年(明治38),日露講和条約で日本がサハリン島の北緯50゜以南を領有したため,占領時の樺太民政署の後身として,07年同庁官制(勅令)で設置された。所在地は08年以来豊原(現,ユジノ・サハリンスク)。…
※「サハリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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