日本歴史地名大系 「山高村」の解説 山高村やまたかむら 山梨県:北巨摩郡武川村山高村[現在地名]武川村山高東流する大武(おおむ)川の右岸河成段丘面の高所に立地し、標高六〇〇メートルの場所にある。古くは幸灯宮(こうとうのみや)という地籍の下方にあったが、中世の大水害により現在地の台地へと移り、南東に傾斜する地形に条里整然とした集落を形成した。武川衆中に宛てた天正一七年(一五八九)一二月一一日の伊奈忠次知行書立(記録御用所本古文書)に山高郷内で一八〇俵とある。翌年一月二七日には「丑之年貢」が加恩として折井市左衛門・米倉主計に渡されるが(「徳川家奉行連署知行書立写」同古文書)、山高郷で四七八俵余がみえる。二月二四日には御重恩の地方が確認されたが(「徳川家奉行連署知行書立写」御庫本古文書纂)、山高郷は七三俵余であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by