岡村源兵衛(読み)おかむら・げんべえ

朝日日本歴史人物事典 「岡村源兵衛」の解説

岡村源兵衛

没年:天和3.6.2(1683.7.25)
生年:生年不詳
江戸前期の播磨国(兵庫県)三木町平田町大庄屋。実名成次。三木町は地子銭が免除されていたとされるが,江戸幕府延宝検地によりこの特権が否定されかけ,延宝6(1678)年,平山町の大西与三右衛門(勝家)と共に江戸へ出訴,勝訴して帰国した。勝訴の要因は豊臣秀吉から与えられた制札にあるが,それは当時本要寺の味噌桶の蓋として使用されていたと伝えられている。三木町では元禄7(1694)年にこの制札を含め証書類を保存するための宝蔵を建立し,また宝永4(1707)年には岡村・大西両氏の顕彰碑を建立した。現在も三木義民祭として制札や書類の虫干しを中心とした行事が行われている。

(保坂智)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android