数学(和算)の研究や勉強の祈願のために、神社仏閣に奉納した絵馬(えま)をいう。村瀬義益(よします)の『算学淵底記(えんていき)』(1681)によれば、17世紀中ごろには江戸の各地に算額があったことがわかる。同書に、目黒不動の算額の問題が紹介されている。京、大坂にはさらに早くから算額があったと思われる。数学書ばかりでなく、算額に書かれた問答でも勉強ができたので、17世紀後半には、算額に書かれた問題を集めて数学書にする者も現れた。
算額集の出版の最初は藤田貞資(さだすけ)の『神壁算法(しんぺきさんぽう)』(1789)で、以後これに倣って算額集の出版が続いた。現存最古の算額は栃木県佐野市の星宮神社の1683年(天和3)の額で、次に京都市の北野天満宮(1686)、同八坂神社(1691)、福井県越前(えちぜん)市の大塩八幡宮(はちまんぐう)(1701)、埼玉県本庄(ほんじょう)市の都島正観音(1726)である。現存数は約800面。奉納の目的は、かならずしも数学の力が上達する祈願とは限らない。たとえば、京都の八坂神社の算額は、1683年奉納の伏見の御香宮(ごこうのみや)算額の解答額であり、数学書の遺題継承と似ている。算額による問答も珍しくなく、なかには最上(さいじょう)流と関流の論争にまで発展した会田安明(あいだやすあき)の芝愛宕(あたご)山(江戸)奉納算額の例もある。算額奉納は日本独特の風習であるが、その目的のなかには、家内安全、塾の繁栄とか、孫の誕生を祝うもの、さらに、難問が解けた、よい問題ができたとか、数学書が全部理解できた、あるいは自慢のためなど、いろいろである。
[下平和夫]
『岩井宏実著『絵馬秘史』(1979・日本放送出版協会)』
数学の問答の書かれた絵馬。記録に残る最古の算額は《算法勿憚改》(1673(延宝1)序)にある東京の目黒不動の額で,分数方程式になる問題が提示されている。江戸初期にはすでに多くの算額が奉納されていた。現存最古の算額は栃木県佐野市の星宮神社に村山吉重が奉納した1683年(天和3)の額で,続いて京都の北野天満宮(1686年(貞享3),今西小右衛門),京都の八坂神社(1691年(元禄4),長谷川鄰完),福井県武生市の大塩八幡宮(1701年,蜂屋頼哉)と続く。これらの額の中にはよい問題もあり,これを写し集めて本にしようという者も現れた。写本では17世紀末から,刊本では藤田貞資の《神壁算法》(1789)で,以後次々と出版された。算額の問題による論争も多く,有名なのは関流の藤田貞資と最上流の会田安明とで,前後20年以上も論戦が続いた。算額は日本中どこにでもあったが,現存するのは約800面である。算額により,その村の数学関係の文化史がわかる場合が多い。
執筆者:下平 和夫
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江戸時代から明治・大正期にかけて寺社に掲げられた数学の絵馬。「算法勿憚改(ぶつだんかい)」によれば,算額奉掲の習慣は1660年代にはすでに定着していた。その頃,世間の数学者に挑戦する算額,その解答を書いた算額,解答に誤りがあるとして訂正を示した算額などが掲げられた。数学書の出版が困難だった時代の研究発表の一方法でもあった。算額に書かれた問題と解答を書き集めて数学の研究に利用する者も現れた。これに目をつけた藤田貞資は1789年(寛政元)おもに弟子の掲げた算額の問題を集めて「神壁算法」を出版,以後,算額集を出版する者が続いた。算額奉掲は塾の発展や家内安全,各自の研究祈願などさまざまな目的をもつ。算額によっても和算は発展した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…一方,神仏の威徳をたたえたり,事業成就の奉謝のために,豪華な額を献ずることが行われた。また,和算の難問を掲示する算額,法楽のために数多くの俳諧,和歌を書きつらねた額も献ぜられるようになった。いずれも絵馬から発生した同類の所業と思われる。…
※「算額」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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