算額(読み)さんがく

精選版 日本国語大辞典 「算額」の意味・読み・例文・類語

さん‐がく【算額】

〘名〙 和算家数学の問題や解答を書いて神社などに奉納した額。創案した問題を知らせたり、広く解答を求める手段として寛文一六六一‐七三)頃から行なわれた。

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デジタル大辞泉 「算額」の意味・読み・例文・類語

さん‐がく【算額】

創案した数学の問題やその解法を書いて社寺に奉納した絵馬。江戸時代中期に始まったとされ、和算家や市井の数学愛好家らが、数学の問題が解けたことを神仏に感謝するという意味合いがあった。また、あえて難問を出して解答を求めたり、その解答のみを記した算額を奉納したりすることも行われていた。額面題

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「算額」の意味・わかりやすい解説

算額
さんがく

数学(和算)の研究や勉強の祈願のために、神社仏閣に奉納した絵馬(えま)をいう。村瀬義益(よします)の『算学淵底記(えんていき)』(1681)によれば、17世紀中ごろには江戸の各地に算額があったことがわかる。同書に、目黒不動の算額の問題が紹介されている。京、大坂にはさらに早くから算額があったと思われる。数学書ばかりでなく、算額に書かれた問答でも勉強ができたので、17世紀後半には、算額に書かれた問題を集めて数学書にする者も現れた。

 算額集の出版の最初は藤田貞資(さだすけ)の『神壁算法(しんぺきさんぽう)』(1789)で、以後これに倣って算額集の出版が続いた。現存最古の算額は栃木県佐野市の星宮神社の1683年(天和3)の額で、次に京都市の北野天満宮(1686)、同八坂神社(1691)、福井県越前(えちぜん)市の大塩八幡宮(はちまんぐう)(1701)、埼玉県本庄(ほんじょう)市の都島正観音(1726)である。現存数は約800面。奉納の目的は、かならずしも数学の力が上達する祈願とは限らない。たとえば、京都の八坂神社の算額は、1683年奉納の伏見の御香宮(ごこうのみや)算額の解答額であり、数学書の遺題継承と似ている。算額による問答も珍しくなく、なかには最上(さいじょう)流と関流の論争にまで発展した会田安明(あいだやすあき)の芝愛宕(あたご)山(江戸)奉納算額の例もある。算額奉納は日本独特の風習であるが、その目的のなかには、家内安全、塾の繁栄とか、孫の誕生を祝うもの、さらに、難問が解けた、よい問題ができたとか、数学書が全部理解できた、あるいは自慢のためなど、いろいろである。

下平和夫]

『岩井宏実著『絵馬秘史』(1979・日本放送出版協会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「算額」の意味・わかりやすい解説

算額 (さんがく)

数学の問答の書かれた絵馬。記録に残る最古の算額は《算法勿憚改》(1673(延宝1)序)にある東京の目黒不動の額で,分数方程式になる問題が提示されている。江戸初期にはすでに多くの算額が奉納されていた。現存最古の算額は栃木県佐野市の星宮神社に村山吉重が奉納した1683年(天和3)の額で,続いて京都の北野天満宮(1686年(貞享3),今西小右衛門),京都の八坂神社(1691年(元禄4),長谷川鄰完),福井県武生市の大塩八幡宮(1701年,蜂屋頼哉)と続く。これらの額の中にはよい問題もあり,これを写し集めて本にしようという者も現れた。写本では17世紀末から,刊本では藤田貞資の《神壁算法》(1789)で,以後次々と出版された。算額の問題による論争も多く,有名なのは関流の藤田貞資と最上流の会田安明とで,前後20年以上も論戦が続いた。算額は日本中どこにでもあったが,現存するのは約800面である。算額により,その村の数学関係の文化史がわかる場合が多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「算額」の意味・わかりやすい解説

算額
さんがく

江戸時代に和算家が数学の問題を書いて神社仏閣に奉納した額をいう。これに対して,解答しえた問題を額に書いて奉納したものを額面題という。関孝和の青年期の寛文延宝年間 (1661~81) 頃,江戸の神社に掲げられるようになった。記録によると明暦年間 (55~58) に始るといわれる。この風習は,文化文政期 (1818~30) には1年に 100枚をこすほどになった。寛政1 (1789) 年には算額のなかから1額1問を選んで 84問を集めた『神壁算法』が藤田貞資,嘉言父子によって編まれ,文化4 (1807) 年,同じ父子によって『続神壁算法』が出版されて,以後算額集の著書が相次いで出た。算額の問題には親しみやすいものが多く,和算を全国に広めるうえでの貢献は大きかった。現在算額は各地の郷土史家たちによって研究が続けられ,和算史の解明に重要な資料となっている。

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百科事典マイペディア 「算額」の意味・わかりやすい解説

算額【さんがく】

和算家が自己または弟子たちの解いた問題や考案した問題を絵馬にして神社仏閣に掲げたもの(和歌・俳諧(はいかい)・茶の湯・いけ花等でも作品を絵馬にする風習があった)。元来は神仏の加護により問題が解けたことを感謝する意味もあったが,おもに自己の学力や一門の優秀さを誇示するためのもの。最古の記録は村瀬義益の《算法勿憚改》(1673年)に見られ,現存最古の算額は栃木県佐野市星宮神社にある(1683年)。和算が最も普及した幕末に盛んに作られ,全国で約800の算額が現存する。算額を集めた書物も多い。和算研究の貴重な資料。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「算額」の解説

算額
さんがく

江戸時代から明治・大正期にかけて寺社に掲げられた数学の絵馬。「算法勿憚改(ぶつだんかい)」によれば,算額奉掲の習慣は1660年代にはすでに定着していた。その頃,世間の数学者に挑戦する算額,その解答を書いた算額,解答に誤りがあるとして訂正を示した算額などが掲げられた。数学書の出版が困難だった時代の研究発表の一方法でもあった。算額に書かれた問題と解答を書き集めて数学の研究に利用する者も現れた。これに目をつけた藤田貞資は1789年(寛政元)おもに弟子の掲げた算額の問題を集めて「神壁算法」を出版,以後,算額集を出版する者が続いた。算額奉掲は塾の発展や家内安全,各自の研究祈願などさまざまな目的をもつ。算額によっても和算は発展した。

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世界大百科事典(旧版)内の算額の言及

【扁額】より

…一方,神仏の威徳をたたえたり,事業成就の奉謝のために,豪華な額を献ずることが行われた。また,和算の難問を掲示する算額,法楽のために数多くの俳諧,和歌を書きつらねた額も献ぜられるようになった。いずれも絵馬から発生した同類の所業と思われる。…

※「算額」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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