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岡泰安 おか たいあん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡泰安 おか-たいあん

1796-1858 江戸時代後期の医師。
寛政8年生まれ。岡研介(けんかい)の兄。文政4年郷里周防(すおう)(山口県)で眼科医を開業。9年長崎にいき吉雄権之助(よしお-ごんのすけ)の塾で,P.F.シーボルトにまなぶ。弘化(こうか)2年法眼。安政4年岩国領主吉川経幹(きっかわ-つねまさ)の侍医となった。安政5年8月30日死去。63歳。名は惟雄。号は平陵。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

岡泰安

没年:安政5.8.30(1858.10.6)
生年:寛政8(1796)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)熊毛郡平生村の医師岡泰純の3男。名は惟雄,号は平陵。眼科を能くした。父のあとを継ぎ,文政4(1821)年郷里に開業。9年7月長崎に行き吉雄権之助,シーボルトに師事。10年2月5日シーボルトに蘭文論文を提出して証明書を得て帰り,流行医となった。弘化1(1844)年に岩国藩主に召し出され,藩主夫人の眼疾を癒し,2年6月法眼に叙せられる。安政3(1856)年には藩主吉川経幹の眼疾を癒し,翌年12月に侍医にあげられた。安政5年8月大流行したコレラに感染し,急逝した。性質は豪放磊落で,同門の高野長英意気投合したといわれる。弟は高野と共にシーボルト門下の双璧とされる岡研介。<参考文献>田中助一『防長医学史』

(田中助一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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