朝日日本歴史人物事典 「岡泰安」の解説
岡泰安
生年:寛政8(1796)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)熊毛郡平生村の医師岡泰純の3男。名は惟雄,号は平陵。眼科を能くした。父のあとを継ぎ,文政4(1821)年郷里に開業。9年7月長崎に行き吉雄権之助,シーボルトに師事。10年2月5日シーボルトに蘭文論文を提出して証明書を得て帰り,流行医となった。弘化1(1844)年に岩国藩主に召し出され,藩主夫人の眼疾を癒し,2年6月法眼に叙せられる。安政3(1856)年には藩主吉川経幹の眼疾を癒し,翌年12月に侍医にあげられた。安政5年8月大流行したコレラに感染し,急逝した。性質は豪放磊落で,同門の高野長英と意気投合したといわれる。弟は高野と共にシーボルト門下の双璧とされる岡研介。<参考文献>田中助一『防長医学史』
(田中助一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報