江戸後期の蘭方(らんぽう)医。周防(すおう)国平生(ひらお)村(山口県平生町)生まれ。父は眼科医岡泰純(1746―1807)。名は精、字(あざな)は子究、周東のち恥葊(ちあん)と号し、研介は通称。1816年(文化13)広島の中井厚沢(1775―1832)に入門、ここで坪井信道(しんどう)を知った。1819年長府(下関)で開業、1824年(文政7)長崎に行き、吉雄権之助(よしおごんのすけ)(1785―1831)の塾で蘭学を修め、シーボルトに教えを受け、鳴滝塾(なるたきじゅく)塾頭となった。1830年(天保1)江戸に向かうが、途中、大坂で同郷の流行医斎藤方策(さいとうほうさく)(1771―1849)と意気投合して定住、開業し蘭学を教え、頼山陽(らいさんよう)ら文人とも親交をもった。1838年岩国藩医となる。このころから幻覚性被害妄想性精神病に悩まされたが、自らその症候を記録した。謹厳無私の性格で、塾規にも、酒楼茶店妓館(ぎかん)に遊ぶことを禁じ、つねに西洋の新知識を吸収し、古義や形式にこだわらず学業の大成に努めることを示している。著訳書に、日本に初めて生理学を紹介した『生機論』(1831年、未刊)ほか、『眼科精要』『岡常用方』などあるが、多くは散逸して不詳。天保(てんぽう)10年11月3日没。
[末中哲夫]
『田中助一著『防長医学史』上下(1951、1953・同書刊行後援会/合本複製・1984・聚海書林)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…図は画工が,クジラを実見し,写生したものがもとになっている。来日したP.F.vonシーボルトは日本のクジラに関心をもち,門人の高野長英,石井宗謙,岡研介たちにクジラに関する論文を書かせた。シーボルトは,論文から得た知識を自著《日本Nippon》(1832‐52),《日本動物誌Fauna Japonica》(1833‐50)で利用している。…
※「岡研介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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