日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブートレロフ」の意味・わかりやすい解説
ブートレロフ
ぶーとれろふ
Александр Михайлович Бутлеров/Aleksandr Mihaylovich Butlerov
(1828―1886)
ロシアの化学者。1844~1849年カザン大学に学び、初め昆虫学にひかれたが、クラウスКарл Карлович Клаус(1796―1864。ルテニウムの発見者)とジーニンに化学を学んでから化学、とくに有機化学の研究を志した。1857~1868年カザン大学化学教授(1860~1863年に2回学長)。1868~1885年ペテルブルグ大学化学教授。1874年ペテルブルグ科学アカデミー正会員。初め、古い根(こん)(ラジカル)の理論に従っていたが、1854年ジーニンからローラン、ジェラール(ゲルアルト)の新しい化学理論を知り、さらに1857~1858年の西欧滞在でコルベ、ケクレ、ブンゼン、エルレンマイヤー、ウュルツ、クーパーらと知り合い、最新の有機化学理論を身につけた。
1858年に発表されたケクレ、クーパーの四価の結鎖炭素原子概念を出発点に、自らのヨウ化メチレンの実験的研究を通して、当時不可知とされた物理的手段により決定されるはずの分子の「機械的構造」とは区別され、化学的方法によって得られる、分子構造の反映たる「化学構造」の概念に到達し、この概念を1861年、提唱した。そして化学式を単なる類似性や反応性の表現とみず一定の分子構造の表現とみて、古典的有機構造論の出発点を明確に示した。彼の有機化学教科書(1864~1866年ロシア語版、1867~1868年ドイツ語版)は、この化学構造論に基づく最初の体系的教科書である。この理論により異性体の存在を多く実例で予言し、たとえば二つのブタン異性体の予言とイソブタンの合成、t-ブチルアルコールの合成とその構造決定など、化学構造論の確立に努めた。ほかにオレフィン重合の先駆的研究や最初の糖状物質の合成などの業績がある。実験実習に重点を置く教育で多くの弟子を育て、また女子の高等教育にも努力した。心霊現象を研究し、養蜂(ようほう)業振興のためにも活動した。
[梶 雅範]