日本歴史地名大系 「岨谷村」の解説 岨谷村そわだにむら 岡山県:上房郡賀陽町岨谷村[現在地名]賀陽町岨谷(すわたに)現町域の南端に位置し、村域は日羽谷(ひわだに)川から槙谷(まきだに)川、さらに落合(おちあい)川までの間に広がる。寛永備中国絵図に「そわ谷村」とみえ、高三五〇石余。正保郷帳では岨谷村とあり高二八二石余、枝村に東(ひがし)村・馬越(まごし)村・とち谷村が記され、井頭(いのかしら)・石道(いしみち)・石井(いしい)からなる東村と落合川上流の馬越・栩谷(とちだに)も含まれたことがわかる。慶長五年(一六〇〇)から元和三年(一六一七)まで幕府領、寛永一八年(一六四一)まで松山藩池田氏領、元禄六年(一六九三)までは同水谷氏領。同年水谷氏断絶によって幕府に収公された。次いで同八年から正徳元年(一七一一)まで松山藩安藤氏、延享元年(一七四四)までは同石川氏、以後同板倉氏の領地となって幕末に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by