岩原番所跡(読み)いわはらばんしよあと

日本歴史地名大系 「岩原番所跡」の解説

岩原番所跡
いわはらばんしよあと

[現在地名]大豊町岩原

豊永とよなが郷の北東端にあたる岩原の高台に置かれた道番所。江戸時代杖立つえだて峠を越え、ほぼ吉野川に沿って北の阿波国有瀬あるせ(現徳島県三好郡西祖谷山村)に通ずる往還があり、阿波国との境界にあたるため設置された。この往還は天正一六年(一五八八)の豊永地検帳の岩原名内にみえる「大道」に比定される。

慶長九年(一六〇四)と考えられる二月二四日付の岩原道番方に宛てた文書(一豊公紀)に「為支配豊永蔵入之内を以居屋敷共ニ参反令扶持候、猶重可申付候也」とあり、この時岩原口道番人が任ぜられたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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