岩屋古城跡(読み)いわやこじようあと

日本歴史地名大系 「岩屋古城跡」の解説

岩屋古城跡
いわやこじようあと

[現在地名]淡路町岩屋 松帆

淡路島の北端松帆まつほ地区南方背後の通称マナイタ山にあった中世の山城跡。北に明石海峡を望み、瀬戸内海から大阪湾に入る海上路を押える場所にあたる。岩屋城とも称される。築城の時期は不明。岩屋城をめぐっては織田氏と毛利氏の攻防が度々繰返された(→岩屋浦。天正六年(一五七八)には毛利氏により岩屋に長屋元定・豊島信吉・冷泉元満・児玉就英らが在番として配された(同年二月一三日「毛利輝元感状」萩藩閥閲録など)。同八年三月の織田信長と摂津石山本願寺(大坂御坊)との和睦後も毛利氏は岩屋を維持したが(四月七日「足利義昭御内書」毛利家文書など)、織田方は種々計略をめぐらして岩屋城奪還を図り、同九年一一月一七日には羽柴秀吉・池田勝九郎らにより岩屋城は攻め落され、勝九郎へ渡された(一一月一六日「羽柴秀吉書状」吉武文書、「信長公記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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