日本歴史地名大系 「岩屋浦」の解説
岩屋浦
いわやうら
淡路島の北端を占め、北・東は海に面する。南は
〔古代〕
播磨明石、
〔中世〕
貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には「石屋保」としてみえ、田六丁七反一四〇歩(除田三丁九反、残田二丁八反一四〇歩)・畠五丁二一〇歩(除畠一丁一反半、残畠三丁九反三〇歩)、石屋宮、浦一所からなる。承久の乱以前の地頭は中務入道(淡路守護佐々木経高)、新地頭は当守護所(長沼宗政)で、歴代守護が管理する地であったと考えられる。仁治四年(一二四三)二月高野山正智院道範阿闍梨は四国に配流される時、同月三日摂津国
天正(一五七三―九二)初年頃、織田信長と対立する摂津石山本願寺(大坂御坊)を毛利氏が支援するようになると、交通の要所である岩屋は毛利軍の前線基地となった。
岩屋浦
いわやうら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報