岩崎江堰
いわさきえぜき
久慈川から取水した江堰で、「新編常陸国誌」に「堰口ノ地ニ於テ、久慈河水ヲ塞ギ、アゲテ用水トナス」とある。辰ノ口江堰・小場江堰とともに水戸藩三大江堰の一つ。
永田茂衛門が慶安元年(一六四八)工事に着手、承応二年(一六五三)に竣功した。「国用秘録」「探旧考証」によれば、堰堤の長さ八〇間、高さ約七尺、用水路幅約二間前後、勾配は三間につき一寸下り。江の長さ約五里、灌漑面積六五五町歩、その石高五千二三三石余。江下の岩崎村・上大賀村・鷹巣村・部垂村・宇留野村・泉村・根本村・上岩瀬村・下岩瀬村・下村田村、下大賀村・瓜連村(現瓜連町)、門部村(現那珂町)など一八ヵ村の用水となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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