岩田富美夫(読み)イワタ フミオ

20世紀日本人名事典 「岩田富美夫」の解説

岩田 富美夫
イワタ フミオ

明治〜昭和期の国家主義者 大化会会長;やま新聞社長。



生年
明治24(1891)年10月27日

没年
昭和18(1943)年7月6日

出生地
青森県

学歴〔年〕
日本大学中退

経歴
大正7年頃から国家主義運動に入り、上海に渡り北一輝とともに大陸浪人となる。帰国後猶存社に参加、12年清水行之助と大化会を結成。昭和3年やまと新聞社総務部長、7年社長に就任、同紙を大化会の機関紙とした。山県有朋暗殺計画、大杉栄遺骨奪還事件をはじめ、北一輝の国家改造運動に深くかかわり、常にピストルを離さなかったことから、北の壊刀として知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩田富美夫」の解説

岩田富美夫 いわた-ふみお

1891-1943 大正-昭和時代前期の国家主義者。
明治24年10月27日生まれ。大正8年上海で北一輝(いっき)を知り私淑。帰国後,北や大川周明(しゅうめい)らが結成した猶存(ゆうぞん)社に参加。解散後は清水行之助(こうのすけ)と大化会をつくる。大杉栄(さかえ)遺骨奪取事件などにかかわった。昭和7年やまと新聞社長。昭和18年7月6日死去。53歳。東京出身。日大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩田富美夫」の解説

岩田 富美夫 (いわた ふみお)

生年月日:1891年10月27日
明治時代-昭和時代の国家主義者。「やまと新聞」社長
1943年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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