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大川周明 おおかわ しゅうめい

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美術人名辞典の解説

大川周明

国学主義者。山形生。東大卒。松村介石主宰の道会に入会し活発に活動。満鉄に入社し、東亜経済調査局理事長・拓大教授・法政大大陸部部長等を務める。昭和6年(1931)の三月事件十月事件等にも参画。多くの青年国家主義者を育てた。著書に『宗教原理講話』『日本文明史』等がある。昭和32年(1957)歿、71才。

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デジタル大辞泉の解説

おおかわ‐しゅうめい〔おほかはシウメイ〕【大川周明】

[1886~1957]国家主義者。山形の生まれ。猶存社・行地社・神武会を結成。軍部と接近し、三月事件五・一五事件に関係。第二次大戦後、A級戦犯として逮捕されたが、精神異常を理由に免訴。著「近世欧羅巴植民史」など。

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百科事典マイペディアの解説

大川周明【おおかわしゅうめい】

右翼国粋主義運動の理論的指導者。山形県生れ。東京帝大でインド哲学を学ぶ。1919年北一輝らと猶存社,1924年行地社を結成。啓蒙活動を行う一方,軍部桜会の将校と接近。
→関連項目神武会東京裁判

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大川周明 おおかわ-しゅうめい

1886-1957 大正-昭和時代の国家主義者。
明治19年12月6日生まれ。大正8年北一輝(いっき)とともにファシズム運動の理論的指導者として猶存社を結成。のち行地社,神武会を結成。軍部にちかづき三月事件,十月事件に関与し,五・一五事件で検挙される。戦後,A級戦犯として逮捕されたが精神障害で釈放された。昭和32年12月24日死去。71歳。山形県出身。東京帝大卒。著作に「日本精神研究」「近世欧羅巴植民史」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおかわしゅうめい【大川周明】

1886‐1957(明治19‐昭和32)
ファシズム運動家,思想家。山形県に生まれる。旧制第五高等学校を経て,東京帝大文学部でインド哲学を学ぶ。1911年卒業。のち,植民地インドの現状に関心をもち,反欧米的思考を強める。18年,満鉄に入社し,翌年東亜経済調査局調査課長。20年,拓殖大学教授となる。1918年,米騒動の衝撃のなかで生まれた老壮会に入会。19年,北一輝とともに〈国家改造〉を目ざす猶存社を結成。23年,北と袂(たもと)を分かって後,翌24年,行地社を創立。

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大辞林 第三版の解説

おおかわしゅうめい【大川周明】

1886~1957) 国家主義者。山形県生まれ。東大卒。北一輝と並ぶファシズム運動の指導者。軍部に接近して国家改造思想を植えつけ、三月事件・十月事件に参画、また五・一五事件に関与した。終戦後 A 級戦犯被告。著「近世欧羅巴植民史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大川周明
おおかわしゅうめい

[生]1886.12.6. 山形
[没]1957.12.24. 神奈川,愛川
日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後,満鉄入社。のち軍中央部と手を握り 1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件,同年6月の満州事変を推進した。 32年の五・一五事件に連座。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大川周明
おおかわしゅうめい
(1886―1957)

日本ファシズム運動の理論的指導者。明治19年12月6日山形県に生まれる。第五高等学校卒業、東京帝国大学哲学科でインド哲学を専攻。その後もインド哲学の研究を続けたが、しだいに植民地インドの現状にも目を向け、植民史、植民政策の研究に重点を置くようになった。1918年(大正7)満鉄に入社、翌年から満鉄東亜経済調査局に勤務。また20年には拓殖大学教授となり、植民史、植民政策などを担当した。研究、調査に従事するかたわら、18年には満川亀太郎らとともに猶存社(ゆうぞんしゃ)を結成。北一輝(きたいっき)との意見対立がもとで脱退したが、24年には行地社(こうちしゃ)を創立して国家改造を目ざした。この間、日本社会教育研究所、およびこれを改組した大学寮で日本精神の研究、指導者の養成に努め、軍部幕僚将校との結び付きを深めていった。この結び付きから、31年(昭和6)には、軍部内閣樹立のクーデター計画事件である三月事件、十月事件に関与した。32年には大衆運動による国家改造を目ざして神武会を組織したが、五・一五事件の首謀者に拳銃(けんじゅう)と資金を提供したため逮捕され、下獄した。37年に出獄したのちは、大川塾と称された東亜経済調査局付属研究所を開設し、研究要員の育成にあたるほか、著作活動に力を注ぎ、『日本二千六百年史』をはじめ数多くの著書を刊行した。45年(昭和20)12月A級戦犯容疑で逮捕されたが、巣鴨(すがも)収容中に精神障害をおこし免訴となった。なお、都立松沢病院入院中にコーランの邦訳を完成させた。昭和32年12月24日死去。[北河賢三]
『橋川文三編『大川周明集』(1975・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の大川周明の言及

【三月事件】より

…建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。計画では3月20日ごろ右翼・無産団体を動員して議会にデモをかけさせ,議会保護を名目として出動した軍隊の圧力により内閣を総辞職に追い込み,宇垣内閣を出現させる予定であった。…

【ファシズム】より

…だがそれは戦争の圧力を利用した官僚支配の強化の形をとったから,陸海軍の対立など官僚のセクショナリズムを克服できず,国民を面従腹背に追いやるなどの矛盾を生んだ。
[国家改造と対外侵略]
 日本ファシズムの思想が,第1次世界大戦とロシア革命の所産であるデモクラシー,革命運動,平和主義に対抗して生まれたことは,1919年夏の大川周明と北一輝の出会いが象徴する。日本が革命になるとして,北を中国へ迎えに行った大川に,北は五・四運動の渦中で執筆中の,のちの《日本改造法案大綱》を示した。…

【猶存社】より

…前年来の老壮会の活動にあきたらなくなっていた満川亀太郎が,より実践的な活動をめざして設立を首唱した。1919年理論的指導者とするため北一輝を呼びよせるよう満川に依頼されて上海に赴いた大川周明が北の《国家改造案原理大綱》(のち《日本改造法案大綱》と改題)をもち帰ると,ただちにそれを刊行したのを皮切りに,翌年北の帰国後,機関誌《雄叫》の発行,〈革命日本の建設,日本国民の合理的組織,民族解放運動,道義的対外策の遂行〉など7綱領の制定など,組織としての内実を整えていった。この間,鹿子木員信,安岡正篤,笠木良明らが同人となった。…

【老壮会】より

…会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦,高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎,嶋中雄三,下中弥三郎,権藤成卿,中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。…

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