ファシズム運動家,思想家。山形県に生まれる。旧制第五高等学校を経て,東京帝大文学部でインド哲学を学ぶ。1911年卒業。のち,植民地インドの現状に関心をもち,反欧米的思考を強める。18年,満鉄に入社し,翌年東亜経済調査局調査課長。20年,拓殖大学教授となる。1918年,米騒動の衝撃のなかで生まれた老壮会に入会。19年,北一輝とともに〈国家改造〉を目ざす猶存社を結成。23年,北と袂(たもと)を分かって後,翌24年,行地社を創立。啓蒙宣伝活動にあたるとともに,軍部との関係を深める。29年東亜経済調査局が独立の財団法人となると理事長に就任。31年,陸軍桜会によるクーデタ計画,三月事件に関与。翌32年2月,神武会を組織し,軍部と結びついた大衆的ファシズム運動を目ざす。五・一五事件に連座して反乱罪により禁錮5年に処せらる。37年10月,仮出所。以後,法政大学教授(大陸部長)をつとめるとともに,《日本二千六百年史》(1939),《近世欧羅巴植民史》(1941),《米英東亜侵略史》(1942)などを刊行。敗戦後,A級戦犯として逮捕されたが,精神障害を起こし,裁判から除外,病棟で《コーラン》の翻訳に没頭する。1948年末,不起訴釈放。自伝《安楽の門》(1951)を著す。《大川周明全集》全7巻がある。
執筆者:須崎 慎一
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大正・昭和期の国家主義者
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日本ファシズム運動の理論的指導者。明治19年12月6日山形県に生まれる。第五高等学校卒業、東京帝国大学哲学科でインド哲学を専攻。その後もインド哲学の研究を続けたが、しだいに植民地インドの現状にも目を向け、植民史、植民政策の研究に重点を置くようになった。1918年(大正7)満鉄に入社、翌年から満鉄東亜経済調査局に勤務。また20年には拓殖大学教授となり、植民史、植民政策などを担当した。研究、調査に従事するかたわら、18年には満川亀太郎らとともに猶存社(ゆうぞんしゃ)を結成。北一輝(きたいっき)との意見対立がもとで脱退したが、24年には行地社(こうちしゃ)を創立して国家改造を目ざした。この間、日本社会教育研究所、およびこれを改組した大学寮で日本精神の研究、指導者の養成に努め、軍部幕僚将校との結び付きを深めていった。この結び付きから、31年(昭和6)には、軍部内閣樹立のクーデター計画事件である三月事件、十月事件に関与した。32年には大衆運動による国家改造を目ざして神武会を組織したが、五・一五事件の首謀者に拳銃(けんじゅう)と資金を提供したため逮捕され、下獄した。37年に出獄したのちは、大川塾と称された東亜経済調査局付属研究所を開設し、研究要員の育成にあたるほか、著作活動に力を注ぎ、『日本二千六百年史』をはじめ数多くの著書を刊行した。45年(昭和20)12月A級戦犯容疑で逮捕されたが、巣鴨(すがも)収容中に精神障害をおこし免訴となった。なお、都立松沢病院入院中にコーランの邦訳を完成させた。昭和32年12月24日死去。
[北河賢三]
『橋川文三編『大川周明集』(1975・筑摩書房)』
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1886.12.6~1957.12.24
昭和期の国家主義者・右翼理論家。山形県出身。東大卒。1918年(大正7)満鉄東亜経済調査局に入社,翌年編集課長。調査に従事する一方,北一輝らと猶存社を結成,その後も行地社を創立するなど,国家主義運動を率いた。31年(昭和6)橋本欣五郎らの桜会とともに陸軍主導の内閣樹立をめざした3月事件・10月事件に参画。翌年の5・15事件で禁錮刑判決。第2次大戦後,A級戦犯容疑で逮捕されるが,極東国際軍事裁判審理中に精神障害をおこし,免訴となった。
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…建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。計画では3月20日ごろ右翼・無産団体を動員して議会にデモをかけさせ,議会保護を名目として出動した軍隊の圧力により内閣を総辞職に追い込み,宇垣内閣を出現させる予定であった。…
…だがそれは戦争の圧力を利用した官僚支配の強化の形をとったから,陸海軍の対立など官僚のセクショナリズムを克服できず,国民を面従腹背に追いやるなどの矛盾を生んだ。
[国家改造と対外侵略]
日本ファシズムの思想が,第1次世界大戦とロシア革命の所産であるデモクラシー,革命運動,平和主義に対抗して生まれたことは,1919年夏の大川周明と北一輝の出会いが象徴する。日本が革命になるとして,北を中国へ迎えに行った大川に,北は五・四運動の渦中で執筆中の,のちの《日本改造法案大綱》を示した。…
…前年来の老壮会の活動にあきたらなくなっていた満川亀太郎が,より実践的な活動をめざして設立を首唱した。1919年理論的指導者とするため北一輝を呼びよせるよう満川に依頼されて上海に赴いた大川周明が北の《国家改造案原理大綱》(のち《日本改造法案大綱》と改題)をもち帰ると,ただちにそれを刊行したのを皮切りに,翌年北の帰国後,機関誌《雄叫》の発行,〈革命日本の建設,日本国民の合理的組織,民族解放運動,道義的対外策の遂行〉など7綱領の制定など,組織としての内実を整えていった。この間,鹿子木員信,安岡正篤,笠木良明らが同人となった。…
…会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦,高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎,嶋中雄三,下中弥三郎,権藤成卿,中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。…
※「大川周明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
北大西洋にある世界最大の島。デンマーク自治領。中心地はヌーク(旧ゴートホープ)。面積217万5600平方キロメートルで、全島の大部分は厚い氷に覆われている。タラ・ニシンなどの漁業が行われる。グリーンラ...
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