日本大百科全書(ニッポニカ) 「威奈大村」の意味・わかりやすい解説
威奈大村
いなのおおむら
(662―707)
飛鳥(あすか)時代の高級官人。猪名真人(いなのまひと)にもつくる。天武(てんむ)朝の大紫(だいし)威奈真人鏡公(かがみのきみ)の第3子。持統(じとう)朝に務広肆(むこうし)、文武(もんむ)朝に少納言(しょうなごん)となり、勤(きん)広肆のち直広肆。703年(大宝3)持統天皇の御葬司を任じた際、御装副官となる。翌年従(じゅ)五位上、705年(慶雲2)左小弁、越後(えちご)城司、707年正五位下を授与されたが、同年4月越城(えつじょう)に没し荼毘(だび)に付された。46歳。11月、大倭(やまと)国葛木下(かつらぎしも)郡山君里狛井(こまい)山崗(やまおか)(奈良県香芝(かしば)市穴虫(あなむし)字馬場)に帰葬。
明和(めいわ)年間(1764~72)埋葬地のゴホ山より、大甕(がめ)の中に入った金銅製球状合子(ごうす)形の骨蔵器が出土。この中の漆器に遺骨が納めてあった。骨蔵器の表面、蓋(ふた)の頂部を中心として放射状に被葬者の業績をたたえる銘文を刻む。全文392字、大村の出自から始め、詳しく履歴をたどり、葬送の日時を述べたのち、押韻した銘を付する。わが国の墓誌としては唯一の中国式に整ったものである。銘文には、『日本書紀』『続日本紀(しょくにほんぎ)』の記事と一致する文章もあり、古代史にとって有益な史料となっている。大阪市の四天王寺に所蔵。1954年(昭和29)国宝に指定された。
[猪熊兼勝]