岩谷石切丁場跡(読み)いわがたにいしきりちようばあと

日本歴史地名大系 「岩谷石切丁場跡」の解説

岩谷石切丁場跡
いわがたにいしきりちようばあと

[現在地名]内海町岩谷

岩谷の集落北にあり、元和六年(一六二〇)から寛永六年(一六二九)にわたる大坂城修築の際に、筑前福岡藩主黒田長政・忠之父子が採石した丁場跡。南谷天狗岩・豆腐石・亀崎・八人石の五丁場跡が現存し、大坂城石垣石切丁場跡として国の史跡に指定されている。角取石・そげ石・種石が混在して大型の矢穴の痕跡があり、かつ弦桝・輪違・丸丁・卍・蕨文などの多くの刻印がある。これらの刻印は大坂城跡の大手門千貫櫓付近、本丸、二の丸南面の石垣の刻印と一致する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報