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大坂城跡 おおさかじょうあと

知恵蔵の解説

大坂城跡

2003年11月、大阪市中央区の現在の大阪城の西側から大坂冬の陣(1614年)で埋められた豊臣氏大坂城の「三の丸」堀跡などが発見された。堀は底をデコボコにした空堀で幅約25m、深さ約6m。刀、矢傷もある頭蓋骨6個、埋設作業中の死者らしい2人の遺体なども見つかり、生々しい戦闘などが分かる初めての遺跡として重要だ。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について | 情報

国指定史跡ガイドの解説

おおさかじょうあと【大坂城跡】


大阪府大阪市中央区大阪城にある城跡。大阪平野のなかで唯一の高台である上町(うえまち)台地の北端に位置する。かつては、すぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害で、京都に繋がる交通の要衝でもあった。戦国末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8)に焼失した後、豊臣秀吉によって城が築かれた。その後、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、1615年(元和1)の大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府は豊臣氏築造のものに高さ数mの盛り土をして縄張りを改めさせ、豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされる。石山本願寺に始まり、織田、豊臣両氏を経て徳川氏にいたる歴史的変遷を物語るこの遺構は、近世における築城の代表的な一例でもあることから、1953年(昭和28)に国の史跡に指定され、1955年(昭和30)には特別史跡指定を受けた。大坂城は江戸時代を通じて将軍の番城でもあり、1868年(慶応4・明治1)、鳥羽・伏見の戦いの直後、城中から出火し、大半の建物が焼失した。現在は、豊臣時代の遺構は地上にないが、昭和初期に復興された天守閣、江戸時代の櫓や門など13棟が現存する。JR大阪環状線大阪城公園駅、同森ノ宮駅、地下鉄谷町線天満駅、京阪電鉄京阪本線天満橋駅などから徒歩約15~20分。

出典|講談社国指定史跡ガイドについて | 情報

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