日本歴史地名大系 「大坂城跡」の解説
大坂城跡
おおさかじようあと
〔沿革〕
大坂城の歴史は大きく三期に分けられる。第一期は天正一一年(一五八三)九月に始まった豊臣秀吉の築城工事から大坂夏の陣によって全城灰燼に帰した慶長二〇年(一六一五)までで、豊臣氏大坂城の時期。第二期は同年徳川幕府が大坂城をにぎってから鳥羽・伏見の戦でほぼ全焼した慶応四年(一八六八)まで。この時期は徳川氏大坂城の時期。第三期は明治維新以後今日に至る時期で、近現代社会において石垣・堀・古建造物などを生かしつつ再利用されている時期。第一期は秀吉が在城した天下の支配者の居城の時期と、関ヶ原合戦以後六五万石の一大名に転落した豊臣秀頼の居城の時期とに分けられる。第二期は松平忠明が大坂城を預かり管理した元和元年(一六一五)から五年までの大坂藩管理の時期と、幕府が大坂の町も直轄領とし、幕府の大番衆と城代をはじめとした勤役大名との軍事力で守衛管理された時期に分れる。この間の元和六年―寛永五年(一六二〇―二八)に当城は完全に築き直され、一部埋められてはいるが、石垣・堀は今日みる姿となった。第三期は明治維新から昭和二三年(一九四八)までの日本陸軍および占領軍(連合軍)によって占有されていた時期と、その後の大阪市の管理下で史跡公園として活用されている時期とに分けられる。
〔歴代城主〕
初代城主は秀吉で、天正一一年から没年の慶長三年八月まで。天正一三年秀吉は関白に任ぜられ、その居城として京に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報