岩間寺跡
いわまじあと
[現在地名]引佐町栃窪
県道新城―引佐線の栃窪バス停の南方約一〇〇メートルにある寺院跡。古義真言宗高野山平等院末で、補陀山と号し、本尊は十一面観音、朱印高六石(寛政三年古義真言宗本末牒など)。行基の開創で、往古は本院・坊中一二坊・宝塔・経蔵・仁王門を有したが、中世末期に火災に遭ったと伝える。天正年間(一五七三―九二)近藤秀用が同氏の故地である三河中宇利村(現愛知県新城市)の菩提所富賀寺に住した伯父覚禅を呼寄せて復興したという(「当山開基草荊草案」臥雲院蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 