島倉村(読み)しまくらむら

日本歴史地名大系 「島倉村」の解説

島倉村
しまくらむら

[現在地名]三和村島倉

桑曾根(くわぞね)川左岸に位置し、東は北代(きただい)村、西は浮島(うきしま)村。古くは東大寺領吉田(よしだ)庄の一部であったと伝え、地字に佃・八束町・古市・中ノ坪・坊町などが残る。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「三俣九兵衛分此外拾七方分嶋倉村 中」とみえ、本納三一五石三斗三升九合・縄高八九〇石七升五合、家一四軒・一九六人で男女とある。道に沿って家並が描かれ「苻内ヨリ廿五里」と記される。また安塚(やすづか)村(現東頸城郡安塚町)部分には「島倉ヨリ廿五里」と記され、春日山(かすがやま)城(現上越市)と安塚を結ぶ街道の中継点であったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む