島原保(読み)しまはらほ

日本歴史地名大系 「島原保」の解説

島原保
しまはらほ

阿山郡島ヶ原村に比定。天養元年(一一四四)三月二九日付の太政官符(三国地志)に出るのが早い例。同太政官符は「伊賀国雑事五ケ条内」として、奈良の東大とうだい寺・興福こうふく寺が伊賀国の公田を押領するのを停止させるよう伊賀国司藤原信経に命じたものであるが、そのなかで「興福寺西金堂領」として「字予野村三十余町 島原保」をあげ、「猪田(郷カ)内予野村公田卅余町、忽号興福寺西金堂領、同不輸租調、国之蠹害、無過於斯矣」と指摘している。猪田いだ予野よの村は現上野市予野に比定できる。この頃猪田郷伊賀郡であるが、島原保も伊賀郡であったと推測できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む