島根村(読み)しまねむら

日本歴史地名大系 「島根村」の解説

島根村
しまねむら

[現在地名]足立区島根一―四丁目・梅島うめじま一―三丁目・平野ひらの一―三丁目・一ッ家ひとつや一丁目・同三丁目・青井あおい一―二丁目・同四―六丁目など

梅田うめだ村の北に位置し、西は栗原くりはら村。中央を日光道中が南北に貫通するほか、東西に北から国土安穏こくどあんのん寺に至る道(御成道)、大道通が通る。村組(ズシ)として北厨子・上厨子・中厨子・郷中厨子・下厨子がある。応永二〇年(一四一三)五月二〇日の足利義持寄進状写(岩井文書)によれば氷川御宮(現埼玉県さいたま市高鼻町氷川神社)に足立郡島根村内の六段が寄進された。永禄七年(一五六四)と推定される三月二三日の北条家印判状(井田家所蔵文書)によると、従来高橋殿が丸子まりこ(現神奈川県川崎市)に領有した七貫文を千葉殿(憲胤)御老母の堪忍分に宛行う代わり、足立之内島根之村を与えている。


島根村
しまねむら

[現在地名]大宮市島根・昭和しようわ

かも川と荒川に挟まれた沖積低地で、植田谷本うえたやほん村の南に位置する。東部は自然堤防上にある。荒川沿いの八貫野はちかんのに持添新田があった(風土記稿)。検討を要する文書であるが、応永二〇年(一四一三)五月二〇日の足利義持寄進状(岩井文書)に「足立郡嶋根村」とみえ、当村のうち六段の地が氷川宮に寄進されている。永禄七年(一五六四)三月二三日、小田原北条氏は高橋某に足立郡「嶋根之村」の替地として橘樹たちばな丸子まりこ(現神奈川県川崎市)のうちの七貫文の地を宛行った(甲子三月二三日「北条家印判状」井田太郎氏所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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