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島津光久 しまづ みつひさ

美術人名辞典の解説

島津光久

薩摩藩主。名は虎寿丸・又三郎忠元。家久の長男。従四位上左近衛権中将・薩摩守・大隅守等を歴任。元禄7年(1694)歿、79才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島津光久 しまづ-みつひさ

1616-1695* 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)2年6月22日生まれ。島津家久の子。寛永15年(1638)薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家2代となる。島津久通(ひさみち)や禰寝(ねじめ)清雄を起用し,新田や金山開発,林業,紙すき,茶業などの振興をうながし,藩政整備につとめた。学問をこのみ,「島津世禄記」を編修させた。元禄(げんろく)7年11月29日死去。79歳。初名は忠元。通称は又三郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

島津光久

没年:元禄7.11.29(1695.1.14)
生年:元和2.6.22(1616.8.4)
江戸前期の薩摩(鹿児島)藩主。父は家久。薩摩守,大隅守。寛永15(1638)年に家督を継承。学問を好み,「寛永大系図」を幕府に献上したり「新編島津氏世録正統系図」を編集させたりした。国内の事業としては,万治内検を実施して給地の改正を行う一方,大隅国串良などでの新川の掘削を行っての新田開発や,永野・芹ケ野・鹿籠金山の開発を行い,国内の産業の振興を促した。国外との関係事件には,琉球国八重山島に漂着した呂宋船を長崎に送付したこともあり,また,正保2(1645)年には,島津家に伝わる犬追物を武蔵国王子原において催し将軍徳川家光に観覧させている。<参考文献>伊地知季安・季通編『旧記雑録』(鹿児島県史料),『鹿児島県史』

(福島金治)

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367日誕生日大事典の解説

島津光久 (しまづみつひさ)

生年月日:1616年6月22日
江戸時代前期の大名
1695年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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