朝日日本歴史人物事典 「島津光久」の解説
島津光久
生年:元和2.6.22(1616.8.4)
江戸前期の薩摩(鹿児島)藩主。父は家久。薩摩守,大隅守。寛永15(1638)年に家督を継承。学問を好み,「寛永大系図」を幕府に献上したり「新編島津氏世録正統系図」を編集させたりした。国内の事業としては,万治内検を実施して給地の改正を行う一方,大隅国串良などでの新川の掘削を行っての新田開発や,永野・芹ケ野・鹿籠金山の開発を行い,国内の産業の振興を促した。国外との関係事件には,琉球国八重山島に漂着した呂宋船を長崎に送付したこともあり,また,正保2(1645)年には,島津家に伝わる犬追物を武蔵国王子原において催し将軍徳川家光に観覧させている。<参考文献>伊地知季安・季通編『旧記雑録』(鹿児島県史料),『鹿児島県史』
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報