島津光久(読み)しまづ みつひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津光久」の解説

島津光久 しまづ-みつひさ

1616-1695* 江戸時代前期の大名
元和(げんな)2年6月22日生まれ。島津家久の子。寛永15年(1638)薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家2代となる。島津久通(ひさみち)や禰寝(ねじめ)清雄を起用し,新田や金山開発,林業,紙すき,茶業などの振興をうながし,藩政整備につとめた。学問をこのみ,「島津世禄記」を編修させた。元禄(げんろく)7年11月29日死去。79歳。初名は忠元。通称は又三郎

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367日誕生日大事典 「島津光久」の解説

島津光久 (しまづみつひさ)

生年月日:1616年6月22日
江戸時代前期の大名
1695年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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