朝日日本歴史人物事典 「島津忠寛」の解説
島津忠寛
生年:文政11.2(1828)
幕末の日向国(宮崎県)佐土原藩主。幼名は徳次郎,又之進,通称は淡路守。佐土原藩主島津忠徹の次男として江戸三田藩邸に生まれる。母は宗家島津斉宣の娘随子。天保10(1839)年に父忠徹の急逝にともない12歳で襲封。藩政は宗藩の薩摩藩主島津斉彬の影響と指導のもとに行われ,海防に力を注いだ。幕末・維新の政局では宗藩と行動をともにし,生麦事件や薩英戦争では宗藩とイギリスとの交渉にかかわった。戊辰戦争では忠寛に錦旗節刀が下賜され,上野から会津・米沢方面へと転戦し,その戦功で明治2(1869)年に賞典禄3万石が給された。同年に版籍奉還して知藩事に任ぜられ家禄1813石となる。麝香間祗候,伯爵。
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報