島津忠寛(読み)しまづ・ただひろ

朝日日本歴史人物事典 「島津忠寛」の解説

島津忠寛

没年:明治29.6.20(1896)
生年:文政11.2(1828)
幕末日向国(宮崎県)佐土原藩主。幼名は徳次郎,又之進,通称は淡路守。佐土原藩主島津忠徹次男として江戸三田藩邸に生まれる。母は宗家島津斉宣の娘随子。天保10(1839)年に父忠徹の急逝にともない12歳で襲封藩政は宗藩の薩摩藩主島津斉彬の影響と指導のもとに行われ,海防に力を注いだ。幕末・維新政局では宗藩と行動をともにし,生麦事件薩英戦争では宗藩とイギリスとの交渉にかかわった。戊辰戦争では忠寛に錦旗節刀が下賜され,上野から会津・米沢方面へと転戦し,その戦功で明治2(1869)年に賞典禄3万石が給された。同年に版籍奉還して知藩事に任ぜられ家禄1813石となる。麝香間祗候,伯爵

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「島津忠寛」の解説

島津 忠寛
シマズ タダヒロ


肩書
佐土原藩知事

生年月日
文政11年2月(1828年)

経歴
天保10年12歳で佐土原藩主を襲封。宗藩である薩摩藩と藩政をともにし、生麦事件や薩英戦争で講和交渉を続けた。明治2年版籍奉還により日向佐土原藩知事。

没年月日
明治29年6月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津忠寛」の解説

島津忠寛 しまづ-ただひろ

1828-1896 江戸後期-明治時代の大名,華族
文政11年2月9日生まれ。島津忠徹(ただゆき)の子。天保(てんぽう)10年(1839)日向(ひゅうが)(宮崎県)佐土原(さどはら)藩主島津家10代となる。藩財政を改革し,洋式兵制をとりいれる。宗藩鹿児島藩と行動をともにし,薩英戦争,戊辰(ぼしん)戦争をたたかう。維新後,伯爵。明治29年6月20日死去。69歳。通称は又之進。号は蠖堂。

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